なかにし礼『歌謡曲から「昭和」を読む』(NHK出版新書,2011)をパラパラと読む。
著者は昭和を代表する作詞家であり、北島三郎の「まつり」(1984)や細川たかしの「北酒場」(1982)などのヒット曲を手掛けている。また、平成に入ってもTOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」(2003)など、印象に残る歌を作っている。
意外だったのが、軍歌に対して一線を引き、外国の唱歌に国威発揚の歌詞をつけたり、戦争で命を落とす若者への配慮のない芸術家に対して、しっかりと批判を述べている。
私は「愛国的」つまり「日本のため」ということ自体、芸術家として根本的な誤りであると思う。(中略)作家の卓抜な技によって煽り立てられて戦地に赴き、戦死したり苦難を強いられたりした若者が大勢いたことに、作家たちは罪の意識を感じなかったのだろうか。感じていたら、次々に書くことなどできないはずだから、(中略)そこに彼らの罪がある。
平成21年(2009)、イスラエルのエルサレム賞を受賞した作家の村上春樹は、授賞式で、「高くて硬い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」と自らの文学的信念を語り、列席していたイスラエル大統領の面前で、イスラエルによるガザ侵攻を非難した。私は一人の作家として、この言葉に共感する。作家はどんな国も支持してはならないし、どんな主義も支持してはならない。支持した瞬間、作家は「主人持ち」になり、その側から発言することになる。それは村上春樹の言葉を借りれば「壁」になることに他ならない。仮にいま戦争が起きたとして、国策に沿った歌を書くように言われても、私は絶対に書かない。それは政治思想の問題ではなく、歌を作る人間として、あるいは作家として、「主人を持ってはならない」と考えるからである。芸術に携わる人間は、決して自らが「壁」になってはならないのだ。