久しぶりに春日部ララガーデンで、新海誠原作・脚本・監督『すずめの戸締り』(東宝 2022)を観た。
仕事帰りだったので、ゆったりとした気分で鑑賞することができた。震災で親を失った主人公の鈴芽が、地震を神の力で押さえつけていく「戸締り」を通して、力強く生きていくという分かりやすいテーマだった。3.11の震災から12年という現実時間がアニメの世界にも反映されており、ちょうど高校2年生の女子高生の親という立場で観ると、感慨深いものがあった。
月別アーカイブ: 2022年11月
『日本語は年速一キロで動く』
井上史雄『日本語は秒速一キロで動く』(講談社現代新書 2003)をパラパラと読む。
著者は東京外国語大学で長く言語学を研究していた学者である。本書では「ジャカマシイ」や「センカッタ」「ケンケン」「〜シナイ」などの方言がどのように他地域に伝播していくか、詳細なデータをもとに分析した労作である。言語地理学の分野の研究になるのであろう。
そうした中で、マスメディアの影響も含めて方言は均すと年速1キロくらいで拡大していくことを明らかにしている。さらにはインド=ヨーロッパ語族のヨーロッパへの拡大についても、小麦栽培と結びつけて年に1キロという似た速度で西進していったことも紹介されている。またモンゴロイドがアジアからベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸北端に渡り、南アメリカ大陸南端へ達した過程も、5万キロに5万年かかったとすると、ほぼ同様の速さとも言えると述べている。
言語・文化の伝播とそれを担う人間自体の移動は別問題のはずだが、1世代あたり30キロ、つまり年速1キロほどに落ち着くのだろうと結論付けている。
「北ICBM発射成功 米韓に対抗」
本日の東京新聞朝刊に北朝鮮メディアが新型大陸間弾道弾(ICBM)の発射実験に成功したと報じたとの記事が掲載されていた。記事によると北朝鮮が発射したICBMは飛行距離は1万5000キロを超える可能性があり、米国全土を射程に入れることができる。また、北朝鮮は核弾頭を数十発保有しているといわれ、金正恩総書記の「核には核で」とのセリフもあながち虚勢ではないことが伺われる。
ただし、冷静になって考えてみると、いったい北朝鮮に戦争を仕掛けて何のメリットがあるのかということである。戦争自体は数日で終わるかもしれないが、その後の復興支援や政権設立まで含めると、アフガニスタンやイラクに攻撃を仕掛けて泥沼の運営を強いられた米国の二の舞である。
北朝鮮の嫌がらせに過剰に反応することで利益を得るのは、日本や韓国に使えないミサイル迎撃システムを売りつける米国の軍需産業と、それにあやかる日本の防衛産業や政治家だけである。そんな関わるだけ無駄な北朝鮮の挑発は無視するしかない。一方で日中、日韓の絆を深める外交努力が必要である。幸い日韓関係は一時期に比べ修復に向かっている。中国とも100%とは行かないが、政治だけでなく企業や民間交流を含め、様々な交渉チャンネルと用意しておくことが大切だ。
『みんな地球に生きるひと』
あぐねす・チャン『みんな地球に生きるひと:出会い・わかれ・再見』(岩波ジュニア新書 1987)を読む。
昔読んだことあるなと思いながらページを繰った。香港出身のため、キリスト教の教えを受け、日本やカナダへも自由に留学ができ、中国国内や米国にも出向くことができていた。また、中国や米国に対して自由に発言ができていた。そうした自由な香港がなくなったという歴史の流れを感じる一冊であった。
『卓球・勉強・卓球』
荻村伊智朗『卓球・勉強・卓球』(岩波ジュニア新書 1986)を読む。
著者は日本代表として世界卓球選手権で計12個の金メダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍し、第3代国際卓球連盟会長も務めた卓球界最大の功労者である。
府立十中から都立西校に移行した一期生であったため、卓球部を創設するところから話が始まる。1948年の敗戦直後で、体育館に屋根がないので雨が降ればザーザー水浸しになるところであったにも関わらず、校長と掛け合って部活を創設する。また、選手になってからも日本を出発してから85時間ぐらいしてウォーミングアップなしに試合をした経験など、およそ現在では考えられないエピソードが満載である。
著者は1960年代に、中国・周恩来総理の招きで、中国の卓球のコーチを引き受けることになる。しかし、当時は中国の漢民族のレベルの高い家庭の婦人の間には纒足の習慣が残っており、女性のスポーツはあまり普及していなかった。そうした旧弊的な文化とも付き合いながら著者は卓球を熱心に指導していく。
また、面白い話として、1960年代のオリンピックには台湾が中華民国として出場していたので、中国は出場することが許されていなかった。Wikipediaで調べたところ、中国のオリンピック参加は1980年以降である。そんな状況ではあるが、たまたま卓球は台湾が加盟せず、中国が加盟していた唯一の国際競技団体であったため、中国政府も卓球を通じた外交を展開していたというのだ。歴史の裏が垣間見えた気がした。