荻村伊智朗『卓球・勉強・卓球』(岩波ジュニア新書 1986)を読む。
著者は日本代表として世界卓球選手権で計12個の金メダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍し、第3代国際卓球連盟会長も務めた卓球界最大の功労者である。
府立十中から都立西校に移行した一期生であったため、卓球部を創設するところから話が始まる。1948年の敗戦直後で、体育館に屋根がないので雨が降ればザーザー水浸しになるところであったにも関わらず、校長と掛け合って部活を創設する。また、選手になってからも日本を出発してから85時間ぐらいしてウォーミングアップなしに試合をした経験など、およそ現在では考えられないエピソードが満載である。
著者は1960年代に、中国・周恩来総理の招きで、中国の卓球のコーチを引き受けることになる。しかし、当時は中国の漢民族のレベルの高い家庭の婦人の間には纒足の習慣が残っており、女性のスポーツはあまり普及していなかった。そうした旧弊的な文化とも付き合いながら著者は卓球を熱心に指導していく。
また、面白い話として、1960年代のオリンピックには台湾が中華民国として出場していたので、中国は出場することが許されていなかった。Wikipediaで調べたところ、中国のオリンピック参加は1980年以降である。そんな状況ではあるが、たまたま卓球は台湾が加盟せず、中国が加盟していた唯一の国際競技団体であったため、中国政府も卓球を通じた外交を展開していたというのだ。歴史の裏が垣間見えた気がした。