日別アーカイブ: 2022年8月12日

『エネルギー改革が日本を救う』

中島洋GLOCOM教授著『エネルギー改革が日本を救う:主役交代、技術・政策・地域が主導する再生可能エネルギー革命』(日経BP社 2014)を卒読した。
興味を引いたところを書き留めておきたい。

私もこのホームページで利用しているさくらインターネットは、現田中邦裕社長が舞鶴工業高等専門学校在学中に創業されている。本社は大阪にあるが、データセンターは北海道の石狩にある。北海道の冷涼な外気を利用した冷房によるエネルギー効率の向上により、電力消費を抑えているとのこと。

常に一定方向から風が吹いているオランダやドイツ、デンマークでは早くから陸上風力発電が普及している。しかし、日本はそうした恒常風に恵まれていないため、陸上風力発電は大きな遅れをとっている。福島県沖で始まった(現在は終了しているが)洋上風力発電は、既存の技術がほとんど通用しない未開拓分野である。

大分県は日本一の温泉県で、源泉数、湧出量ともに日本一である。厳選数は2位の鹿児島県や静岡県を大きく引き離し、湧出量も2位の北海道や鹿児島県をかなり引き離している。

大分県では、2013年から2014年にかけて3カ月ほど、トヨタ車体の超小型電気自動車のコムスを使う実験を行なっている。道路の脇に、屋根付きのバスの停留所のような形状の充電スタンドを設置し、屋根に取り付けた太陽パネルで起こした電気を鉛蓄電池にため、充電するという仕組みである。

福島の原発事故以降、運転中の原子炉だけではなく、使用済み核燃料もプールの中で長期間冷却し続けなくてはいけない、という現実が知れ渡ってしまった。テロの攻撃目標は使用済み燃料の冷却用電源の破壊へと移る。発電会社はその防御のために利益には結びつかない多額の投資を迫られる。
仮に再稼働した場合に増え続ける使用済み核燃料廃棄物をどうするのか。かつて発電の燃料であるプルトニウムを抽出して核燃料サイクルの中で再利用するはずだった。その核燃料サイクルは予定を大きく遅れて運転のめどが立っていない。断念すべきだ、という声も強まっている。
そうなれば、使用済み燃料の持っていき場所がなくなる。一時的に保管すると思っていた原発の脇に設けた冷却プールは満杯に近づいている。短期の保管だと思えば冷却コストも気にならなかったが、期限が見えない保管となると長期間の継続的な多額の経費負担を覚悟しなければならない。これまでは燃料に転換する経済価値のある有形資産として保管してきたが、これからは経済価値のない廃棄物である。それどころか取り扱いに多額のコストがかかる負の資産である。
激しいコスト競争にさらされる発電会社が果たして「原発」を引き受けられるか。まだ総括原価主義を原理とする現在の電力会社にいると実感できないが、発電会社への配属が決まって事業計画を作り直す時になって、「負の遺産」となる原発を、新発電会社が引き受けないだろう、というのが村上憲郎の「経営感覚」である。原発は引き受け手がなく漂流し、表舞台から消えていく可能性は否定できない。

「アフガン タリバン復権1年」

本日の東京新聞朝刊にタリバン政権が復権してから1年が経つアフガニスタンの情勢が伝えられていた。アフガニスタンで支援活動を続けるNPO法人「難民を助ける会」のバセルさんは「アフガニスタンは今、食料をはじめあらゆる必要物資を支援に頼っているが、支援は一時的で持続的ではない。人々に仕事の機会を与えてほしいと訴える。

外務省の統計でみると、アフガニスタンの一人あたりのGNIは530ドルと世界で一番貧しい国であり、2017年で失業率は11.2%となっている。2018年の統計によると、74億ドルの輸入に対し、輸出は9億ドルに過ぎず、内訳はドライフルーツ(35%)、薬草(15%)、果物(11%)、鉱物(11%)、野菜(8%)等となっている。資源に恵まれておらず、また内陸国なので中国や東南アジアで成功した輸出加工区のような工場誘致も難しい。そうした中で、バセルさんが訴える「持続的」な支援はどのようなものがあるのか。

2019年にアフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師は「緊急のアフガニスタンの問題は、政治や軍事問題ではない。パンと水の問題である」と語る。中村医師は40年以上にわたり、パキスタン・アフガニスタンで安全な水と農業用水の確保に向けた灌漑事業に取り組んできた人物である。

アフガニスタンでは降水量の統計が取られていないが、2000年頃から干ばつが度々発生するようになり、小麦や果物が大きな被害を受けている。中村医師は独学で土木を勉強し、アフガニスタンに用水路の建設を進め、65万人の命を救ったとも言われている。(まさに国葬に値する人物である)現在、国際NGO(NPO)団体ペシャワール会で中村医師の思いを受け継ぎ、アフガニスタンで灌漑水利事業を進めている。

中村医師は2001年、タリバンが世界的に有名なバーミヤンの仏教遺跡などを破壊したときに次のように語っている。

今世界中で仏跡破壊の議論が盛んであるが、我々は非難の合唱に加わらない。アフガニスタンの国情を尊重する。暴に対して暴を以て報いるのは、我々のやり方ではない。
餓死者百万人と言われるこの状態の中で、いま仏跡の議論をする暇はないと思う。少なくともペシャワール会=PMSは、建設的な人道的支援を、忍耐を以て継続する。我々はアフガニスタンを見捨てない。

つまり、政治や民主主義などの能書きを語る前に、安全な水と安心して暮らせる食料の確保こそがアフガニスタンに最も必要な支援であると述べるのだ。20年以上も前の言葉である。
一介の地理教諭であるが、授業の中でこうしたことに思いを寄せるような生徒を育てていきたい。また思いだけでなく、実際の医療や農業、建設現場で力を発揮するような若者を送り出していきたい。