月別アーカイブ: 2018年12月

『爆笑問題の日本史原論グレート』

爆笑問題『爆笑問題の日本史原論グレート』(幻冬舎 2002)を読む。
シリーズ第3弾ということで、教科書には詳しくは載っていない歴史上の人物を取り上げ、漫談調に解説が加えられる。徳川家康や宮本武蔵は別格として、内村鑑三、道鏡、出雲の阿国、滝沢馬琴、伊能忠敬、安倍晴明、石原莞爾、由比正雪、真田幸村、北条時宗の12人である。
印象に残った箇所を書き留めておきたい。

  • 徳川家康:冷酷・狡猾な策を弄するところから「狸おやじ」というあだ名も
  • 内村鑑三:愛国主義者かつキリスト教徒で、日露戦争に反対し、足尾銅山鉱毒事件でも闘争
  • 道鏡:時の女帝・孝謙上皇と性的関係があったとも言われ、孝謙上皇は天皇位まで譲ろうとした
  • 出雲の阿国:歌舞伎の創始者とも言われる女性であるが、晩年の詳細は不明
  • 滝沢馬琴:28年間に渡って里見八犬伝を書き続け、日本初の専業小説家となる
  • 伊能忠敬:伊能図をもとにした地図が公判されたのが1867年、一般向けの販売は1871年
  • 安倍晴明:生前の詳細は不明で、没後に伝説が加えられていったのでは
  • 石原莞爾:努力家で神経質で仕事熱心な東条英機に比べ、天才型で豪快で風変わりな石原莞爾
  • 由比正雪:江戸・京都・大阪で一斉に爆破テロを起こして幕府を倒そうとクーデターを計画
  • 真田幸村:サナダムシの語源は真田昌幸の刀の柄に巻いていた紐の形に似ていたからとも
  • 宮本武蔵:吉川英治の小説の影響が強く、剣豪のイメージも創作によるものか
  • 北条時宗:生誕時に諏訪湖に突然何百艘もの船が出現したという伝説に彩られる

「普通の人々が主人公の社会とは」

本日の東京新聞朝刊に、哲学者内山節氏のコラム「時代を読む」が掲載されていた。
月1回ながら、現実社会の動きから少し俯瞰して問題点を提起している。相も変わらず分かりやすい文章なので、練習に書き写してみたい。

内山氏の指摘するように、感情的な物言いをする人を称賛するような雰囲気が、ここ数年特に強くなってきたように感じる。政治家や経営者だけでなく、芸能人やスポーツ選手も露骨に感情的なパフォーマンスを「演出」するようになった。つい先日も、トランプ大統領を真似したのか、日本のクジラ肉食文化が理解されないと、国際捕鯨委員会(IWC)を脱退する旨の発表があった。捕鯨の是非はさておき、国際的な議論の場を抜け出すというパフォーマンスは頂けない。議論は尽くすものであり、逃げるものではない。感情を露わにすることが、素直で正直な人柄だと受け取ってしまうネット社会のムードに少し注意が必要だ。

 インターネットが普及しはじめたとき、それは世界を変える夢の道具のように言われたものだった。世界中のどこからでも、誰もが発信できる。情報発信では大都市と田舎の格差はなくなり、国境を越えた世界市民の時空が広がっていく。こんな解説をしばしば耳にしたものだった。人々の間を正しい情報が行き交い、理性的な議論の場がつくられていくことが、インターネットに期待されていた。

だが、期待通りにはいかなかった。むしろ、自分の感情にもとづいて発信し、自分の感情に合うものを検索する、感情のための手段としての利用が広がっていった。

それは世界に、無視できない変化を与えたのかもしれない。なぜなら、自分の感情だけを判断基準にして行動する人々を、大量に生みだすことになったからである。少し前までは、感情よりも理性が重視される時代だった。感情だけでものを言うのは、恥ずかしいことだとされていた。ところが感情よりも理性が上に立つと、理性的な意見を述べるための作法に習熟していない人たちは、社会から疎外されていく。「知的」な議論をするための素養が必要になり、それが「エリート」の支配を生みだしてしまうのである。理性重視の時代は、自分は社会の主人公にはなれないと感じる、大量の人々を生みだしてしまっていた。

近代的な世界では、たえずこのことへの不満をもつ人々がいた。政治も思想、理念、メディアを動かしているのも「知的エリート」たち。そういう構造への不満が、社会の奥には鬱積していたのである。

インターネットは、このような構造からの「解放」をもたらした。「知的エリート」に支配されることなく、自分の感情をそのまま発信できるようになったのである。感情を判断基準にして行動する人々がふえ、それが深刻な感情の対立を広げていく、そんな世界がここから生まれた。

アメリカのトランプ大統領を支えているのも、けっして少数派とは言えないアメリカの人たちの感情だ。日本でも中国になめられるなという感情、北朝鮮や韓国に対する感情などが安倍政権を支えている。その中国や韓国もまた、「国民感情」が大きな力をもっている。ヨーロッパで台頭する国家主義勢力の基盤も、いまの状況に不満を持つ人々の感情だ。

社会への不満やいらだちがそのまま発信され、それがおおきな渦となって社会を動かす。政治は、それを助長する扇動政治の性格を強めていく。

今年は、世界はいまこのような方向に向かっているのだということを、より明確にした年だったのかもしれない。感情の対立がそのまま容認される時代が、私たちを包んでいる。

とすると現在私たちは深刻な課題を背負わされていることになる。むき出しの感情対立が世界を動かすのが、よいはずがない。だが、理性が支配することがよかったのか。近代社会は、理性による秩序づくりをめざした。それが近代の理念だった。だがそれは理性的であるという規範を牛耳る人たちの支配を生み、「エリート」と主人公にはなれない人々の分裂をつくりだした。

おそらくこの対立は、普通の人々が社会の主人公になる仕組みが生まれないかぎり、解決されないだろう。理性による支配ではない協同の仕組みを、私たちは見つけ出さなければならなくなった。

『埼玉ルール』

都会生活研究プロジェクト[埼玉チーム]『埼玉ルール:埼玉ゆったりライフを楽しむための49のルール』(中経出版 2013)を読む。
映画『SR サイタマノラッパー』の脚本・監督を務めた入江悠監督が作中で「サイタマは今も昔も変わらずに、都会と田舎の汽水域をふらふらと漂っている―」と表現したように、都会とも田舎ともつかない中途半端な県であると同時に、都会と田舎のクロスオーバーを楽しむことのできる贅沢な県である。

埼玉に移り住んでちょうど20年になるが、”ファッションセンターしまむら”や”ヤオコー”が比企郡小川町が発祥だったことや、”るーぱん”や”馬車道”が熊谷生まれだということも初めて知った。実は、埼玉県は小麦の生産量で全国6位を誇り、「朝まんじゅうに昼うどん」という言葉も残っているほどの「うどん県」なのである。

私も今年で埼玉に移り住んで20年になるが、県内で仕事もレジャーもすべて事足りてしまうので、埼玉県から出る機会もぐっと減ってしまった。河川面積日本一や土砂災害発生件数日本最下位など、埼玉ならではの魅力の発信も今後ますます期待できそうだ。

『日本農業のゆくえ』

梶井功『日本農業のゆくえ』(岩波ジュニア新書 1994)をパラパラと読む。
高校生向けのジュニア新書であるが、著者は農業経済学を専門とし、東京農工大学の学長まで務めた人物である。農業そのものよりも、農業政策を巡ってグラフを用いつつ経済学の観点からの解説や、農業を巡る社会のコンセンサスにまで話が及び、およそ一般的な高校生が理解できる内容とは思えない。「農業経済とは?」とか「農業経済の基本」というタイトルのほうが良かったのではないか。

『中野重治・堀田善衞 往復書簡 1953-1979』

以下、影書房のサイトより
少し余裕が出来たら、手にとってみたい。

竹内栄美子、丸山珪一 編

中野重治・堀田善衞 往復書簡 1953-1979

2018年11月22日発売
四六判 上製 328頁
定価 3800円+税
ISBN978-4-87714-480-7 C0095
装丁:桂川 潤

家・中野重治と堀田善衞が、冷戦下の1953年から中野が亡くなる1979年までに断続的に交わした全書簡82通。
これらの書簡からは、民族独立運動を背景にしたアジア・アフリカ作家運動、中ソ論争からソ連等のチェコスロヴァキア侵攻事件、中野の日本共産党からの除名問題、キューバの新たな模索、ヴェトナム戦争等々、国内外の政治・社会が激動する時代において、これに向き合い、それを考えるなかから作品を発表し、発言し行動を起こしてきた文学者たちの肉声が聞こえてくる。
書簡の内容を補完するために、書簡ごとに詳細な註を付した。また解説として、鎌田慧、海老坂武、栗原幸夫各氏による本往復書簡をめぐる書き下ろし論考と、中野・堀田と同時代を生きた文学者、竹内好、加藤周一、鶴見俊輔による中野論・堀田論を再掲。さらに中野重治による堀田論、堀田善衞による中野論を収録し、巻末に関連年譜を付した。
戦後、国内外で政治と民主主義が大きく揺れ動くなか、戦後のあるべき文学と生き方を模索し格闘した文学者たちの証言。

 

〈編者・著者〉

●中野重治(なかの・しげはる)
1902年福井県生まれ。詩人・小説家・評論家。1926年堀辰雄らと『驢馬』を創刊。同時に,新人会に入会,マルクス主義,プロレタリア文学運動に向かう。日本プロレタリア芸術連盟,「ナップ」,「コップ」の結成に参加。運動の方針をめぐる議論のなかで多くの評論,詩,小説を発表。主な作品に、「村の家」「歌のわかれ」「五勺の酒」「梨の花」「甲乙丙丁」など。1947年~50年参議院議員。1979年没。

●堀田善衞(ほった・よしえ)
1918年富山県生まれ。小説家。1944年国際文化振興会から派遣されて上海に渡るが、敗戦後は中国国民党宣伝部に徴用されて上海に留まる。中国での経験をもとに、小説を書き始め、47年に帰国。52年「広場の孤独」「漢奸」で芥川賞を受賞。海外との交流にも力を入れ、アジア・アフリカ作家会議などに出席。他の主な作品に、「歴史」「時間」「インドで考えたこと」「方丈記私記」「ゴヤ」など。1998年没。

*     *     *

●竹内栄美子(たけうち・えみこ)【編集】
1960年大分県生まれ。明治大学文学部教授。専門は日本近代文学。主な著書に『アジアの戦争と記憶』(共著、勉誠出版)、『中野重治と戦後文化運動』(論創社)、『中野重治書簡集』(共編、平凡社)、『戦後日本、中野重治という良心』(平凡社新書)ほか。

●丸山 珪一(まるやま・けいいち)【編集】
1941年大阪府生まれ。金沢大学名誉教授。中野重治を語る会代表世話人。堀田善衞の会代表。主にルカーチ・ジェルジ、中野重治、堀田善衞の名と結びついた分野での研究と取り組む。

●竹内 好(たけうち・よしみ)
1910年長野県生まれ。中国文学者・評論家。魯迅の研究・翻訳のほか、アジア的な視座から多くの文化・文学評論を手がける。主な著書に『魯迅』(日本評論社)、『現代中国論』(河出書房)ほか。1977年没。

●加藤周一(かとう・しゅういち)
1919年東京生まれ。医学博士、評論家、作家。文学・芸術・政治・文化全般にわたる評論を展開。主な著書に『羊の歌(正・続)』(岩波新書)、『日本文学史序説(上・下)』(筑摩書房)ほか。2008年没。

●鶴見俊輔(つるみ・しゅんすけ)
1922年東京生まれ。哲学者・評論家。46年『思想の科学』創刊に参加。主な著書に『戦時期日本の精神史』(岩波書店)、『戦後日本の大衆文化史』(岩波書店)ほか。2015年没。

●鎌田 慧(かまた・さとし)
1938年青森県生まれ。ルポライター。社会問題を幅広く追及、執筆。主な著書に『自動車絶望工場』(講談社文庫)、『六ヶ所村の記録』(岩波現代文庫)、『大杉栄―自由への疾走』(岩波現代文庫)ほか。

●海老坂 武(えびさか・たけし)
1934年東京生まれ。フランス文学者・評論家。主な著書に『フランツ・ファノン』(講談社)、『サルトル』(岩波新書)、『戦争文化と愛国心――非戦を考える』(みすず書房)、訳書に『黒い皮膚、白い仮面』(ファノン著、共訳、みすず書房)ほか。

●栗原 幸夫(くりはら・ゆきお)
1927年東京生まれ。編集者、評論家。べ平連、アジア・アフリカ作家会議などに参画しつつ、コミュニズム運動史、プロレタリア文学史等を研究。主な著書に『プロレタリア文学とその時代(増補新版)』(インパクト出版会)、『わが先行者たち―文学的肖像』(水声社)ほか。