関裕二『神武天皇vs.卑弥呼』(新潮新書 2018)を読む。
著者は歴史作家であり、学者ではないので、学会で正式に歴史学の成果として発表された作品ではない。多分に謎解き要素のミステリー仕立てとなっている。
初代神武天皇と第10代の崇神天皇は同時代の人物であり、神武天皇はヤマト地方で流行った疫病を鎮めるために九州から連れてこられた人物で、第15代の応神天皇と同一人物であるとの大胆な仮設に従って論が進んでいく。そして、応神(神武)天皇の母である神功皇后は、なんと邪馬台国の女王・台与であり、ヤマトから九州に派遣されて邪馬台国(福岡県山門郡・現みやま市)の卑弥呼を討ち取って王位に就いたとする。しかし、王位に就いた神功皇后(台与)であるが、魏の滅亡とともに「親魏倭王」の権威も意義も無くなり、ヤマト政権から裏切られることになる。そこで神功皇后は、奴国の海人の末裔である安曇氏一族とともに、南九州(宮崎県日向市)に逃れることになる。これが天上界から日向の高千穂に舞い降りた邇邇藝命(ににぎのみこと)の天孫降臨神話になったと著者は推測する。
崇神天皇の頃に疫病で人口が半減する事態に見舞われ、三輪山の大物主神を連れて祀らせればよいとの神託があったので、疫病を台与の祟りと信じたヤマト政権は、台与の末裔をヤマトに呼び寄せ祭祀王に仕立てたという話が、日本書紀では神武天皇の東征として脚色されている。当時のヤマト政権の中心は奈良県桜井市巻向にある箸墓古墳周辺であったが、疫病を鎮める「鬼」である神武天皇は、そこから数キロ離れた橿原宮で生活したとのことである。
本書だけ読んでいると辻褄が合っている気がするが、あまりにもきれいに出来すぎていて不安になってしまう面も否定できない。崇神天皇自体が日本書紀では120歳、古事記では168歳まで生きたとされる人物である。応神天皇は4世紀末から5世紀初頭にかけて実在した可能性の高い天皇と見られ、「日本書紀」によると5世紀末から6世紀初頭の第26代継体天皇の5代前の先祖だとの記述がある。
果たして真相はいかに。
PS. ウィキペディアより転載
ギネス世界記録では、神武天皇の伝承を元に、日本の皇室を「世界最古の王朝」としているが、発行物には「現実的には4世紀」と記載している。