月別アーカイブ: 2017年9月

「それぞれの願望」

本日の東京新聞朝刊に、哲学者内山節氏のコラムが掲載されていた。
ごくごく当たり前のことしか書いてないのだが、日米軍事演習やイージス艦による迎撃システムなどの話ばかりを耳にする現在、新鮮な話のように感じる。それほど日本の政治や外交が流されているという証拠であろう。

 私は北朝鮮の一番の対応策は、無視することだと思っている。軍事的威嚇に対して、軍事的威嚇をもって対応すれば、戦争の危機を高めるだけでなく、相手の軍事力に一定の効果があることを、認めることになってしまう。そんなことより、原爆やミサイルを装備しても、何の成果もないということを教える努力の方が重要なのである。

それは、長期にわたる経済制裁などをつづけながら、無視された国として扱うということである。軍事力を強化してもの成果も上がらないという現実をつくりだす方が、北朝鮮の体制の危機を高めることになるだろう。

もちろん日本には拉致問題を抱えてはいるが、いまの北朝鮮にそれを解決する意志がない以上、そういうやり方が自分たちを孤立させ、危機に追い込んでいくのだということを、徹底して知らせるほかない。

軍事力に対して軍事力で対決したりもしない。さりとて実効性のある対話もしない。もちろんつねに情報を収集し、万が一にも攻撃されたときの対応方法をもつことは必要だろうが、徹底して無視するのが一番いい。

『筑波大学』

長須祥行『筑波大学:新構想は何をもたらしたか』(現代評論社 1980)をパラパラと読む。
現場の教官や学生からの内部告発や流出資料を踏まえ、自由な学風の東京教育大学から中教審構想のモデル校へと変遷していった筑波大学の学内事情のレポートである。学生の徹底した管理体制の手法や産・学・官一体の巨大科学技術大学の実態、統一教会との関係が指摘される学長の独裁体制など、よくぞここまでと恐れ入るほど詳しくまとめられている。最後に、学園都市建設で土地を奪われた農民の声を紹介し、次のように述べる。

いまだに科学技術信仰のとりこになっている筑波大学及び研究学園都市などは、もはや“虚妄”の存在でしかなく、“解体”される運命をよぎなくされているのではないかと思う。

また、筑波大学は、東京高師以来の伝統の復活を願い、筑波大学と前身諸学校同窓会組織の「茗渓会」が資金財団となって設立された経緯がある。
「旧東京高師時代の亡霊を見ないわけにはいかない」と著者が指摘するように、「21世紀に開かれた」新しい大学の理念と同時に、日本の帝国主義や侵略戦争を教育面で支え、戦前の皇道教育の総本山であった東京高師以来の伝統の復活が意図されている。
著者の言う「東京高師の亡霊」は、茗渓会をバックにして作られた神奈川県・横浜市の桐蔭学園や筑波大学の開学と歩調を合わせて設立された茗渓学園に受け継がれている。

筑波大学とは、“亡霊がコンピューターを操作する”ブラック・ユーモアのような大学なのではあるまいかと思われるのだ。すると、あの東京教育大学から引き継がれた“桐の花”の紋章が、なんとも無気味にみえてくるのをおさえ難い。

『戦後教育論』

村田栄一『戦後教育論:国民教育批判の思想と主体』(社会評論社 1970)を手に取ってみた。
20年以上も本棚の奥で眠りこけていた本である。学生時代に古本で購入したものであり、「関書店 250円」というラベルが貼ってある。記憶は全く残っていない。

著者自身の墨塗り体験に始まる戦後教育への懐疑が展開される。あまりに時代が違いすぎ、本論はあまり頭に入ってこなかったが、「まえがき」が格好よかったので一部紹介したい。当時の民青と対決した全共闘運動・ノンセクトラディカルの熱気がもろに伝わってくる文章である。

 いま日本の教育は全面的な改革期に直面している。幼稚園から大学院に至る教育階梯を、「国益」と「労働力造出」を軸にして再編しようとする中教審構想がその青写真である。これは、70年安保を経てアジア市場への本格的「進出」を意図する日本帝国主義の動向に歩調を揃えた「内政」の最重要課題として提出されているものだ。

一方、70年前夜に全国の大学・高校でたたかわれた学園闘争において確認されたのは、いまや、「戦後民主主義」や「学園の自治」がその内実を喪失して、「支配」の外被へと逆転してしまっているということであった。投票箱(代議制)と多数決を否定的契機としてラディカルな直接行動と、そのための全共闘組織が生まれ、「学園解体」「反教育」ということばで日本教育総体への根底的批判が提起された。

いまぼくたちは、あらゆる意味で、戦後民主主義、戦後教育などに対して「擬制の終焉」を宣告せねばならない。

ところが、戦後一貫して「平和を守れ」「民主主義を守れ」という合言葉のもとに、情況との政治的・思想的対決を避け、「平和」「民主主義」をマイホーム主義的エゴイズムの水準にまで矮小化してきた「革新」勢力は、「教育権は国民にある」とする教科書裁判一審判決に狂喜し、「民主教育守れ」とする「保守」的発想をさらに固めるのみなのだ。

家永判決のもつ画期的な意義についてはさておき、やはりそれを戦後民主主義の廃墟に立った蜃気楼として、それへの拝跪を拒絶しきる主体的な姿勢こそが必要なのではないだろうか。現実批判の彼方に新たな展望をひらくために、ぼくたちは幻想を捨て、守るべき民主教育などは実在しないのだということを確認し、戦後教育のバランス・シートを明らかにせねばならない。そうしないと、現実に進行しているのが、戦後教育どころか、新たな「戦前」教育なのだということを見逃す重大な歴史的錯誤に陥るのであろう。

『サラダ記念日』

俵万智歌集『サラダ記念日』(河出書房新社 1987)をちょっとだけ読み返す。
執筆当時は新しい感覚で書かれた歌も、30年経ってみれば「昭和」を感じる作品がいくつかあった。
LINEやtwitterを日常的に使いこなす現代の10代の若者は、以下の歌をどのように解釈するのであろうか。

書き終えて切手を貼ればたちまちに返事を待って時流れ出す

よく進む時計を正しくした朝は何の予感か我に満ちくる

天気予報聞き逃したる一日は雨でも晴れでも腹が立たない

『十八歳・等身大のフィロソフィー』

石塚正英編『十八歳・等身大のフィロソフィー』(理想社 1997)をぱらぱらと読む。
編者が当時教鞭をとっていた河合塾での「小論文」講座で、予備校生が書いた「小論文」150余点が収録されている。
浪人という高校でも大学でもない中途半端な時間や来年以降の身の振り方すら分からない不安、勉強しなくてはという強迫観念に追われるストレスなどが綴られる。また、そうした浪人だからこそ見えるような社会への不満や、実体験として感じる処世の難しさが1000字程度でまとめられている。起承転結の4段落構成を基本としており、どの作品も転句が読者の心に残るようなエッセー仕立てとなっている。なるほどと思った作品を一つ紹介したい

 女は謎だ、とある男が私に言ったことがある。女は怖い、ずるい、よくわからない、彼の言葉は私に向けられながらも「女」に対しての男の実感のこもったつぶやきであった。女のハンドバッグと聞いて、まず思い浮かぶのはこのエピソードだ私が思うに、男が女を謎だと思うならば、女の常々持ち歩くハンドバッグをその女の象徴として、男は謎に思うのかもしれない。バッグの底にその女の秘密がひそんでいると感じるのは、見る者にとって謎めいた女のバッグこそが女のものなのであろう。その女の秘密が、その女の持つハンドバッグに重なり、のぞいてみたい衝動を起こさせるのではないか。

人間、男と女しかいないのだから、男が謎だと感じるのは当然といえば当然だ。しかし、女の私からしても確かに女は謎である。何より不思議なのは、秘密を持つことを、女は武器に出来るということである。女の謎は男にとって、魅力に一つであるらしい。反論もあるかもしれないが、そう言う男もいるのは確かである。

近年中身が見える透明なバッグが出回った。それでも、バッグの中のポーチまで透明なものを持つ女性は見ない。また、半透明なバッグも人気が出た。見えるようでいて、全て見えるわけではないという、考えてみれば謎めいた半透明のバッグは私もほしいと思っていた。自分のバッグの中身の全て見えてしまうのは気はずかしい。まるで自分を見透かされているような気分になるからである。街でバッグを買いに来ていた女性が「中身が見えるバッグってなんだかイヤ、苦手」と話していたのを耳にしたことがある。つまり女のバッグはそれを持つ女なのであり、女はそこに秘密を込めようとする。全て中身が見えてしまってはいけない。見えないことが、謎を残すことになり、その女への好奇心につながるであろうことを、女は意識的にわかっているのだ。

女は自分の謎−秘密をバッグに込めること、またそのバッグを持ち歩くことで女としての自分を男へと謎めかせている。バッグの中身が見えない限り、男にとって女は謎なのかもしれない。