『筑波大学』

長須祥行『筑波大学:新構想は何をもたらしたか』(現代評論社 1980)をパラパラと読む。
現場の教官や学生からの内部告発や流出資料を踏まえ、自由な学風の東京教育大学から中教審構想のモデル校へと変遷していった筑波大学の学内事情のレポートである。学生の徹底した管理体制の手法や産・学・官一体の巨大科学技術大学の実態、統一教会との関係が指摘される学長の独裁体制など、よくぞここまでと恐れ入るほど詳しくまとめられている。最後に、学園都市建設で土地を奪われた農民の声を紹介し、次のように述べる。

いまだに科学技術信仰のとりこになっている筑波大学及び研究学園都市などは、もはや“虚妄”の存在でしかなく、“解体”される運命をよぎなくされているのではないかと思う。

また、筑波大学は、東京高師以来の伝統の復活を願い、筑波大学と前身諸学校同窓会組織の「茗渓会」が資金財団となって設立された経緯がある。
「旧東京高師時代の亡霊を見ないわけにはいかない」と著者が指摘するように、「21世紀に開かれた」新しい大学の理念と同時に、日本の帝国主義や侵略戦争を教育面で支え、戦前の皇道教育の総本山であった東京高師以来の伝統の復活が意図されている。
著者の言う「東京高師の亡霊」は、茗渓会をバックにして作られた神奈川県・横浜市の桐蔭学園や筑波大学の開学と歩調を合わせて設立された茗渓学園に受け継がれている。

筑波大学とは、“亡霊がコンピューターを操作する”ブラック・ユーモアのような大学なのではあるまいかと思われるのだ。すると、あの東京教育大学から引き継がれた“桐の花”の紋章が、なんとも無気味にみえてくるのをおさえ難い。

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