冨田幸光『カラー版 恐竜たちの地球』(岩波新書 1999)を卒読する。
国立科学博物館地学研究部で古生物学を専攻する著者が、三畳紀から白亜紀末までの1億6千万年の間に進化した恐竜の生態について写真入りで説明している。
子ども向けの絵本にあるような迫力のあるイラストはなく、化石の写真だけがひたすら並ぶ。新書一冊で100属近い恐竜を取り上げている労作であるが、系統学の見地に立った様々な学説の紹介が長ったらしく、恐竜そのものの魅力は伝わってこなかった。
ただし、トリケラトプスやティラノサウルスなどの大型恐竜は化石の写真だけでも十分に迫力が伝わってきた。
月別アーカイブ: 2016年12月
『博物学の巨人 アンリ・ファーブル』
奥本大三郎『博物学の巨人 アンリ・ファーブル』(集英社新書 1999)を読む。
NPO日本アンリ・ファーブル会理事長を務める著者が、フランスの博物学者ファーブルの生涯を追う。
ファーブルは、狩蜂やスカラベの生態、後にフェロモンと呼ばれる伝達物質についての研究で知られる全10巻に及ぶ『昆虫記』の著者として知られる。しかし、彼は昆虫や植物の分野だけでなく、数学と物理学の二つの学士号を有し取得し、さらには農芸化学や科学全般にも長けており、歴史、地理、家事についての本まで書いている万能の人物であった。著者も南方熊楠との共通点を指摘している。
冒頭部分で、ファーブルを初めて邦訳したのは、無政府主義者として知られる大杉栄という件がある。妙な顔合わせだな思っていたのだが、反キリスト権威を貫いたファーブルの生涯を最後まで追うと合点がいくという、なかなか込んだ展開になっている。
神奈川県警への抗議声明 川崎反ヘイト学生救援会
以下、救援連絡センターのメーリングリストからの転載です。
私たち「川崎反ヘイト学生救援会」は、神奈川県警による学生に対しての「器物損壊容疑」を理由にした不当な任意出頭要求・家宅捜索に抗議し、本声明を公表します。
発端となったのは、今年6月5日に行われた「川崎発!日本浄化デモ第三弾」に対する抗議行動です。デモ名が一例を示すように、在日外国人が多く居住する川崎市では、とりわけ外国人居住者の集中する地域を標的とした差別扇動行為(ヘイトスピーチ)が繰り返されており、これに反対する多くの市民が抗議行動を続けてきました。私たち学生も、民主主義社会でのヘイトスピーチの蔓延を許してはならないという意思のもと、抗議行動に参加してきました。こうした草の根によるヘイトスピーチへの批判的な世論は次第に全国的な高まりを見せ、6月5日には市民の抗議の中、行政指導のもと主催者がデモの中止を決定するという結果に至ります。
ところが10月、突如神奈川県警は抗議に参加した一学生に対して、器物損壊を被疑事実とする任意出頭要求や実家への訪問を再三にわたって行い、12月には学生の居宅を捜索するという行動に出たのです。警察の主張する被疑事実はまったくの虚偽であり、当学生が嫌疑をかけられるいわれはありません。にもかかわらず、不相当な理由に基づいて捜索を行い、学生の私物を押収した神奈川県警の行為は暴挙というほか無く、到底許容できるものではないと言えます。
付言すれば、近年日本国内では通称「ヘイトスピーチ解消法」の制定・施行を代表に、ヘイトスピーチを繰り返す団体に対する社会的包囲が形成されてきました。こうした状況の中で、ヘイトデモ側の言い分を根拠に嫌がらせにも等しい「捜査」を行う神奈川県警は、まさしく社会に逆行するものであり、反差別街頭運動を不当に抑え込んでいるという糾弾を免れえないのではないでしょうか。
先日、沖縄・高江における機動隊員の「土人」発言が問題になりました。鶴保沖縄・北方担当相による擁護と、それを承認する閣議決定は耳目に新しいことでしょう。また、ヘイトデモに対する過剰警備や、抗議側への過剰規制はたびたび批判されてきました。今現在問われているのは、警察が持つ立場性に他なりません。警察組織は直ちに、差別に対する立場を明確にする責任を負っていると考えます。
私たちは上記のような、神奈川県警による不当な捜査の執行に強く抗議します。神奈川県警は、直ちに事実の基礎を欠く捜査を中止し、押収品を還付するとともに、当該学生に対して謝罪せよ。また差別・排外主義に断固反対し、ヘイトスピーチ解消に向け尽力する旨の声明を発表せよ。
本日の夕刊から
本日の東京新聞夕刊の匿名コラム「大波小波」で、大学時代の知人の死を知った。
講演会などを企画する際に、サークルボックスだったか、酒の場で何度か話をした思い出がある道場親信氏である。存命中、和光大学で教授をされていたらしい。みすず書房から『思想の科学』の研究会の
『世界漂流』
五木寛之『世界漂流』(集英社 1992)を読む。
日刊ゲンダイなどに掲載された世界各地を訪れた際のエッセーがまとめられている。
あまり深刻な話題はなく、ホテルの使い勝手や、飛行機や競馬場、街並から連想される雑感が取り留めもなく綴られる。
一方、1988年当時の東ベルリンや、1990年のワルシャワ、1992年のモスクワなど、今振り返ると歴史の転換点であった1990年前後の冷戦崩壊の微妙な緊張感が伝わってくる。