日別アーカイブ: 2016年11月29日

本日の夕刊から

本日の夕刊文化面の詩人渡邊十絲子さんのコメントが面白かった
「ブラタモリ」ファンの渡邊さんに最近一つ不満があるという。地方ロケに行くようになった現在のシリーズよりも、東京の町中だけを地味にうろついていた初期シリーズの方が断然高品質であったという。そして次のように述べる。

 タモリが路面に這いつくばって高低差を確認している横を住民が迷惑そうに通り過ぎていく、あのいたたまれない感じがこの番組のキモだったのに。「招かれて拝見する」ときに、大事なものなんか見えない。「頼まれてもいないのに覗きに行く」から、輝ける発見があるのだ。

また、東京工業大学の中島岳志氏の「論壇時評」も興味深かった。保守派の西部邁氏と共産党書記長の小池晃氏を取り上げ、返す刀で野党を批判し、ネオコン・新自由主義に抵抗する方向性を示している。
月1回の連載であるが、彼の視野の広さと視点の鋭さに脱帽である。東京新聞のホームページに掲載されたら、引用してみたい。

「反転授業入門研修会に参加して」

講義や討議などで気付いた点を羅列しておきたい。

NHKの映像など、外部の出来合いのものを紹介しても生徒は観てくれない。
教員が手抜きをしたら生徒は離れてしまう。しかし、教員の負担が大きいと続かない。
楽をせずに、手間、暇かけて生徒自身が自分たちのために私たちの先生が頑張っているという熱意が伝わるか否かが分かれ目。

受験サプリや他の講義映像に生徒はなぜ食いつかないのか。もちろん、一部のやる気ある生徒にとっては良い。その映像講義だけで完結してしまっているという点に問題があるのではないか。いつでもどこでも観られるというのは、逆に観る動機付けを失ってしまう。
映画の予告というのは、話の内容を丁寧に説明しないが、本編に対する興味が高まっていく。場面場面の画面を観るだけで、観ている側は、話を勝手に想像して繋げていく。そうすることで、本編に対する「期待値」が上がっていく。もちろん上がりすぎた期待値によって、がっかりする映画もあるが。。。

最近は、CDが売れないので、ユーチューブに無料で歌をアップして、関心や興味を高め、ライブで稼ぐ歌手が増えている。授業も同じではないか。授業の予告編的な簡易な映像を作ることで、授業に対する興味や関心を高めていくことができるのでは。
「続きはライブ(授業)で」

〈国語の授業との関連で〉
本文を読む、考える、書くという国語の授業の本質を確保するために、周辺の解説や前段までの流れなどは、「授業外」に出すことができる。
『史記』を扱う際に、戦国時代の中国の地図や時代状況などの動画を作成しておくと、授業に対する期待値が上がっていく。
評論文を扱う時は、「生命科学」といった周辺テーマに関する話の動画を作っておくのも手か。

言葉と映像を組み合わせることは深く理解する上でが大事。左脳での言語理解と右脳での映像理解の両方を活用することができる。
予習プリントで良いじゃないかという意見があるが、なかなか紙を配っても生徒は机に向かわない。先生の声で実際に動かして、色を使うだけで生徒の印象は全く違う。

では、机の上の動画(家庭教師方式)と黒板の前で語る動画(受験サプリ方式)のどちらが効果的か。
受験サプリなどを考えると、先生の姿が見えたほうが理解度も高いと思われるが、必ずしもそうではない。
数学的な問題では、むしろ机上動画の方が効果が高かった。先生の姿がない映像の方が、説明内容を捉えやすく、また変な緊張もなく見られるなどの利点があった。
一方、認知的学習(思想スタイル)の問題では、先生というプレゼンス(存在)があった方が、親しみやすさや臨場感、雰囲気などが高く、学習に効果的である。

説明内容の質にもよるが、反転授業入門という点から、机の上にラックを置いてiPadで撮映するだけの家庭教師方式が望ましい。