池澤夏樹『アマバルの自然誌:沖縄の田舎で暮らす』(光文社文庫 2007)を読む。
既に休刊しているが、男性向けのライフマガジン『BRIO』で1999年から2001年にわたって連載され、タイトルにある通り、沖縄県島尻郡知念村で5年半に亘って暮らした自然観察記である。
家に飛び込んできた鳥や、家の前で大量に発生した毛虫やスズメバチなどが写真入りで紹介されている。
肩肘張った内容ではなく、環礁や沖縄の気候を確認しながら気楽に読み流した。
月別アーカイブ: 2016年4月
「給付型奨学金 若者よ、声を上げよう」
以下、本日の東京新聞朝刊の社説より引用。大変丁寧に奨学金の問題を報じている。日本学生支援機構の組織の在りようにもメスを入れて欲しい。
先ほどウィキペディアで調べたところ、学生時代に足繁く通った新宿区・下落合にあった「内外学生センター(学徒)」も一部の事業を除き、日本学生支援機構に吸収されたようだ。学徒で紹介された数々のアルバイトも今ではいい思い出である。
学費を心配せずに、大学に行けないか。もしそうなれば、いわゆる“貧困の連鎖”を断ち切る大きな一助になる。次世代に借金を背負わせ、学びの門戸を狭めていては、日本の未来はひらけまい。
だれにでも等しく教育を受ける権利を、憲法は保障している。それなのに、家庭の経済力が乏しい若者たちには、いわば学ぶ機会と引き換えに、多額の借金を強いるのが国の奨学金制度である。
これに対し、与野党を問わず、返済不要の給付型奨学金の創設を唱える声が高まってきた。参院選を前に、初めて投票権を手にする若年層に向けて訴える狙いがあるのかもしれない。
東京や愛知などの弁護士や大学教員、若者たちの奨学金問題対策全国会議は、給付型導入を選挙の争点にしようと声を上げている。いまや大学生らのおよそ四割は、日本学生支援機構を通じて国の奨学金に頼っている。親の収入の増える見込みが薄いのに、学費は上がる一方だからだ。
大学の年間の授業料だけをみても、平均して私立は約八十六万円、国立は約五十四万円かかる。
殊に国立は九万六千円だった四十年前の六倍近くに及ぶ。当時は九万円前後、いまは二十万円ぐらいの大卒初任給に照らせば、いかに高騰しているかがわかる。最大の問題は、国の奨学金には有利子枠と無利子枠の貸与型しかないことだ。有利子枠が約七割を占め、実質はローンである。
社会に出てから収入が不安定な非正規雇用などに甘んじ、返済に窮する若者たちは多い。本紙の年頭連載「新貧乏物語」が紹介したように、風俗店で働いたり、自己破産したりするケースまである。
滞納すれば、延滞金の上乗せはもちろん、個人信用情報機関のブラックリスト登録から強制執行まで取り立ては厳しい。将来の負担を嫌い、大学進学を諦めるという本末転倒の事態も生じている。国は、卒業後の収入に応じて返済額を増減する新しい奨学金を来年度から採用する。でも、債務を負うことに変わりはない。抜本的な救済策とはいえまい。
就職先の見通しも立たないうちから、借金を余儀なくさせる仕組みが問題なのだ。返済の負担は結婚や出産に響き、少子化や人口減少の要因にもなっている。
世界的にみて、日本は国内総生産に占める高等教育への公的支出割合が低すぎる。まずは給付型奨学金の実現をふくめ、未来のための教育財源を確保するべきだ。
『森の贈りもの』
柿崎ヤス子『森の贈りもの』(創森社 2005)を読む。
山形県北部にある人口1万人の真室川町で林業を営む著者が、林業のことや各地での講演会のこと、ボランティア体験などを自分の言葉で語っている。柿崎さんは、自宅の裏山を「百樹の森」と命名し、150種以上の木を植え、体に障害を持つ方や目の不自由な方々、いろいろな事情で家庭を離れて児童養護施設で暮らす子どもたち、さらに地元の高校生などを招待し、森に直に触れたりする癒しの場を提供している。
山村というだけで貧しい寂しい生活をつい想像してしまうが、柿崎さんは、都会に住む人には想像もつかないほど「豊か」な暮らしをしている。樹木や農産物の成長に心を動かし、心の籠った友人や知人に囲まれ、夜は読書に耽るという理想的な生活である。読んだことはないのだが、ヘンリー・D. ソロー著『ウォールデン森の生活』を思い出した。
私もいつかは森に帰り(?)、山村での生活を実践してみたくなった。
『ユニコーンの旅』
五木寛之『ユニコーンの旅』(文藝春秋 1971)を読む。
うつ病の少年が作ったユニコーンを題材とした詩に纏わる表題作のほか、1950年代末のタクシー業界を描いた「奇妙な果実」など、自動車をモチーフにした短編4作が収められている。どれも五木氏の若い頃のエネルギーを感じる作品であった。
特に、妻と娘に秘密で深夜に中古の外車でドライブを満喫する中年男性を描いた「夜の世界」という作品で印象に残るシーンがあった。車という閉じられた自己の世界に逃げ込もうとする団地住まいのサラリーマンが、ドライブの途中で世界は変えられると信じる学生活動家に出会う。学生活動家との距離の取り方が面白かった。
疲れているので、意味不明な文章になってしまった。。。。
『高齢者医療と福祉』
岡本祐三『高齢者医療と福祉』(岩波新書 1996)をぱらぱらと読む。
いよいよ高齢者の介護が喫緊の社会問題となり始めた頃に刊行された本である。
ケアマネジメントやホスピス、グループホーム、ターミナルケアなどの横文字用語が分かりやすく説明されている。
刊行当時も、20年経った現在でも、施設に預けるのはではなく、子どもが親の介護に責任を持って当たるのが親孝行であるという「神話」が幅をきかせている。しかし、戦前までは「親孝行、したい時には親はなし」と長子は平均33.7歳で父親と死別し、37.9歳で母親と死別していた。さらに末子に至っては、平均21.4歳で父親と、そして25.6歳で母親と死別していた。それが現在ではそれよりも20数年遅れており、高齢者介護が戦前とは全く別次元の問題だということが分かる。そうした社会背景を無視して、子どもが親の面倒を看るのが当たり前だという易き論調には与したくない。