日別アーカイブ: 2015年10月4日

「伝わらぬものなら映画にしてでも」

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本日の東京新聞朝刊に、脱原発訴訟の弁護士を務めている河合弘之氏のインタビュー記事が掲載されていた。
河合氏は、脱原発運動をしていた核化学者の高木仁三郎氏に「弟子入り」し、20年前から電力会社相手に原発の危険性を訴える訴訟を続けている。負け続けながらも諦めずにチャレンジし続ける河合氏の次のコメントが印象に残った。

 (九州電力川内原発の仮処分が認められず、ことし8月に再稼動したことについて)
川内原発の仮処分が認められなかったことは、冷静に受け止めています。目の前のことに一喜一憂し、ここで負けたらすべて終わりではない。一つでも多くの原発の再稼動を阻止し、時期を遅らせ、基数を減らす。そうして再稼動を抑え込んでいくんです。
手段は訴訟や仮処分だけではない。脱原発のデモや集会をやったり、首長に働き掛けたり、署名運動をやったり、総力戦ですよ。

何気ない言葉であるが、策略家ならではの考えが表れている。得てして凡人なるものは、「これが勝負だ」「ここは必ず勝たなくてはならない」「ここで負けたらおしまいだ」と、一つのメルクマールに拘り過ぎる傾向が強い。そして、目の前のことに一度負けたらすべてを諦めてしまう。しかし、何度負けても諦めず、ただ同じことを繰り返すのではなく、その都度作戦を練り直して勝ちに行く戦略が必要なのである。

私自身も日常の生活や仕事の中で、一度思い込んだらそれが全てだと拡大的に考えてしまうことが度々ある。また、それを他人に押し付けるようなこともなきにしもあらずである。一度や二度の失敗や負けは勉強材料なのである。脱原発運動だけでなく、何事においても達磨大師の精神を大切にしたい。
インタビューの最後を河合氏は次の言葉で締めくくっている。いつかは私も口にしてみたい。

 ぼくはビジネス弁護士としてやることはやった。残りの人生は、脱原発と自然エネルギー普及にかけます。ぼくらの闘いは決して負けません。なぜなら、勝つまでやり続けるからです。

松原団地

本日、仕事の関係で獨協大学を訪れた。
集合まで少し時間があったので、隣接している松原団地の中を少し車で走ってみた。

松原団地は日本都市公団(現在の都市再生機構)が建設し、昭和39年に完成しました。総敷地面積60ヘクタール、5926戸、当時は東洋一のマンモス団地と呼ばれました。昭和37年に松原団地駅が開設されたこともあり、団地内には小・中学校、保育園、市役所サービスセンター、郵便局、商店街などが次々と建てられ、めまぐるしい発展を遂げました。( 広報そうか07年2月20日号「草加今昔 松原団地」)

3C家電が爆発的にヒットした頃のいざなぎ景気を象徴する大規模開発である。しかし、建て替えや立ち退きも進んで空き家も多く、転居できない高齢者がひっそりと暮らしている。
軍艦島も世界遺産に登録されたのだから、この松原団地も昭和の良き時代を象徴する建造物として保存されないのであろうか。

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ほぼ人気は感じられなかった。ネットで調べたところ、完成当時はちょうど同じくらいの年齢の子どもが数多く入居し、さながら長屋のような人情味あふれる街の様子だったそうだ。ふと藤原定家の「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮」の和歌が思い出される。

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団地の中の商店もすべてシャッターが降りていた。

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昭和の時代と変わらぬ姿の丸ポスト。君はどんな景色を見てきたのか。