本日、仕事の関係で獨協大学を訪れた。
集合まで少し時間があったので、隣接している松原団地の中を少し車で走ってみた。
松原団地は日本都市公団(現在の都市再生機構)が建設し、昭和39年に完成しました。総敷地面積60ヘクタール、5926戸、当時は東洋一のマンモス団地と呼ばれました。昭和37年に松原団地駅が開設されたこともあり、団地内には小・中学校、保育園、市役所サービスセンター、郵便局、商店街などが次々と建てられ、めまぐるしい発展を遂げました。( 広報そうか07年2月20日号「草加今昔 松原団地」)
3C家電が爆発的にヒットした頃のいざなぎ景気を象徴する大規模開発である。しかし、建て替えや立ち退きも進んで空き家も多く、転居できない高齢者がひっそりと暮らしている。
軍艦島も世界遺産に登録されたのだから、この松原団地も昭和の良き時代を象徴する建造物として保存されないのであろうか。
ほぼ人気は感じられなかった。ネットで調べたところ、完成当時はちょうど同じくらいの年齢の子どもが数多く入居し、さながら長屋のような人情味あふれる街の様子だったそうだ。ふと藤原定家の「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮」の和歌が思い出される。