月別アーカイブ: 2013年1月

パンフレット研究:奈良県立大学

1953年に開学した奈良県立短期大学商経科を母体とし、1990年に4年制の奈良県立商科大学商学部となり、2001年に奈良県立大学と名称を変更し、地域経済学科および観光経営学科からなる地域創造学部が設置されている。
パンフレットを読む限り、偏差値40台レベルの推薦やAO入試が中心の、郊外型女子大学となんら変わりはない。全く体系化されていない教育課程に、ただ「○○文化論」だの「国際〇〇」「観光英語」といった他と関連性のない教養科目がただ並べられている。一応「地域づくり」や「奈良の観光」といった大義名分があるから存続を許されているのであろうが、奈良県民の貴重な税金を使ってまで運用する価値のある大学であろうか。

パンフレット研究:青森公立大学

1993年に、経営経済学部経営経済学科を擁する大学として設置され、1997年に修士課程、2007年には博士課程まで設置されている。現在では「経営学科」「経済学科」「地域みらい学科」の3学科で構成されている。

北東北という地域性のため、第2外国語ではロシア語、韓国語、中国語の3言語がある。その中で、唯一ロシア語のみ正規のロシア人の准教授もおり、4年時まで授業が置かれている。

しかし、果たして人口30万人の青森市が博士課程まで設置されている大学を運営していけるのであろうか。おそらくは国立弘前大学が人文、教育、医、理工、農学部の5学部しか設置していないため、穴を埋める形で経済経営系の大学が企画されたのであろう。1980年代後半の財政バブル、受験バブルも後押ししたのかもしれない。ただ、今後、青森市の郊外で経済経営系の単科大学では先行きが心配される。邪推であるが、原発マネーが入ってやっとこさっとこの運営なのかもしれない。

青森と弘前は特急で一本なので、弘前大学との遠い先の合併を見据えた連携という道を歩んだ方がよいであろう。理系の単科大学であれば就職含め需要はあるが、文系の単科大学、しかも大学院まで設置してしまってはフレキシブルな改革も難しいであろう。

学長自ら「大学進学は、4年の時間と多額の費用を要する、大きな投資です。高校生の皆さんは、その見返りとして何を求めますか。青森公立大学は、就職や資格取得のための予備校ではありません。本学は、不透明な現代社会にあって、自分の力で力強く生き抜いて行ける、自律した若者を厳しく育てたいと願っています。皆さん自身の進学目的を今一度反芻し、本学の『良さ』を知ってください。」と述べている。そうした危機感を煽らねばならないほど、学生の勉学に対する意識が低いのであろうか。公立の大学なのに推薦入試では1.1倍という低倍率である。ただ学費が安いというだけで選ぶ大学となっているのであろう。

『24人のビリー・ミリガン〔下〕:ある多重人格者の記録』

昨日に続いて、本日も5時間近くかけて、ダニエル・キイス『24人のビリー・ミリガン〔下〕:ある多重人格者の記録』(早川書房 1992)を読んだ。
集中して読まないと、話の脈絡と膨大な登場人物(人格)が整理できないと思って一気に読んだ。上下巻合わせて大きく3部で構成され、第1部はビリー・ミリガンが逮捕され、アセンズ精神衛生センターに移送されるまでが描かれる。第2部は大変長く、統合されたビリー・ミリガンが生まれた間もない頃から逮捕されるまでの22年間の過去半生が大変緻密に語られる。途中、上等のSF小説を読んでいるような気になってきた。そして、第3部では地元のメディアや政治家の批判によって、重警備の精神病院をたらい回しされ、またアセンズに戻ってくるまでが描かれる。

読後、ビリー・ミリガン氏のその後のアセンズ病院での治療や、重警備の精神病院での経験が描かれた続編があると知って早速ネットで注文した。すぐに読まないと今作の「記憶が失われて」しまいそうだから。

願い事

せっかくの元日なので、家族を連れて近所の神社へ初詣に出かけた。
春日部と杉戸の境にちょうど位置する珍しい神社で、春日部側が鷺神社、杉戸側が鷲神社と呼ばれている。神社内も左右二つに分けられ、鈴も賽銭箱も二つ並んでいる。私は毎年恒例であるが、交通安全を祈ってきた。交通事故防止には「心のブレーキ」が必要である。加害者であろうと被害者であろうと、生活の全てをダメにしてしまう交通事故だけは何としても防ぎたいものである。交通事故さえなかったら今年一年は良い年であったと思うようにしたい。
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今年1年よろしくお願いします。

2013年が始まった。
昨年までは仕事や育児で余裕をなくしていたが、今年は自分の専門、自分の領域を大切にしながら頑張っていきたい。

今年の元日の東京新聞1面のトップ記事は、「原発マネー保育まで」と題して、原発立地自治体が本来一般財源で賄うべき住民サービスに、23自治体で278億円も注ぎ込まれている現状を報じている。さらに社説では自然を制、征服する思想そのもの限界に触れながら、次のようにまとめている。

新聞の歴史で最も悔やまれ、汚名となっているのは満州事変を境にしてのその変節です。それまで軍を批判し監視の役割を果たしていた各紙が戦争拡大、翼賛へと論調を転換させたのです。国民を煽動していったのです。その中で時流におもねらず敢然と戦ったジャーナリストといえば東洋経済新報の石橋湛山でした。帝国主義の時代にあって朝鮮も台湾を満州も捨てろと説いた「一切を棄つるの覚悟」や「大日本主義の幻想」は百年を経てなお輝く論説です。イデオロギーではない戦争否定の理念、ヒューマニズム、学ぶべきリベラリストでした。
満州事変から熱狂の十五年戦争をへて日本は破局に至りました。三百万の多すぎる犠牲者を伴ってでした。湛山の非武装、非侵略の精神は日本国憲法の九条の戦争放棄に引き継がれたといえます。簡単には変えられません。

石橋湛山に見習うわけではないが、私自身、日々の無思想な怠けに流されることなく、5年、10年後を予想しながら、日常の判断、行動に正確を期していきたい。