日別アーカイブ: 2013年1月1日

願い事

せっかくの元日なので、家族を連れて近所の神社へ初詣に出かけた。
春日部と杉戸の境にちょうど位置する珍しい神社で、春日部側が鷺神社、杉戸側が鷲神社と呼ばれている。神社内も左右二つに分けられ、鈴も賽銭箱も二つ並んでいる。私は毎年恒例であるが、交通安全を祈ってきた。交通事故防止には「心のブレーキ」が必要である。加害者であろうと被害者であろうと、生活の全てをダメにしてしまう交通事故だけは何としても防ぎたいものである。交通事故さえなかったら今年一年は良い年であったと思うようにしたい。
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今年1年よろしくお願いします。

2013年が始まった。
昨年までは仕事や育児で余裕をなくしていたが、今年は自分の専門、自分の領域を大切にしながら頑張っていきたい。

今年の元日の東京新聞1面のトップ記事は、「原発マネー保育まで」と題して、原発立地自治体が本来一般財源で賄うべき住民サービスに、23自治体で278億円も注ぎ込まれている現状を報じている。さらに社説では自然を制、征服する思想そのもの限界に触れながら、次のようにまとめている。

新聞の歴史で最も悔やまれ、汚名となっているのは満州事変を境にしてのその変節です。それまで軍を批判し監視の役割を果たしていた各紙が戦争拡大、翼賛へと論調を転換させたのです。国民を煽動していったのです。その中で時流におもねらず敢然と戦ったジャーナリストといえば東洋経済新報の石橋湛山でした。帝国主義の時代にあって朝鮮も台湾を満州も捨てろと説いた「一切を棄つるの覚悟」や「大日本主義の幻想」は百年を経てなお輝く論説です。イデオロギーではない戦争否定の理念、ヒューマニズム、学ぶべきリベラリストでした。
満州事変から熱狂の十五年戦争をへて日本は破局に至りました。三百万の多すぎる犠牲者を伴ってでした。湛山の非武装、非侵略の精神は日本国憲法の九条の戦争放棄に引き継がれたといえます。簡単には変えられません。

石橋湛山に見習うわけではないが、私自身、日々の無思想な怠けに流されることなく、5年、10年後を予想しながら、日常の判断、行動に正確を期していきたい。