月別アーカイブ: 2012年10月

『新左翼とロスジェネ』

鈴木英生『新左翼とロスジェネ』(集英社新書 2009)を読む。
ふとしたことがきっかけで、今後2010年代以降の学生運動が気になって手に取ってみた。著者自身が関わった『蟹工船』のブームから、戦後の学生運動を左翼文学を題材に時系列的に論じながら、「今の社会で必要な連帯へのきっかけなるものを提示する」内容となっている。50年代前半の共産党暴力革命路線から60年安保闘争、全共闘運動、そして浅間山荘事件以降の「全共闘的」なものの拡散までが分かりやすく展開されている。

ここ最近、市民運動、とりわけ自然環境運動は震災をきっかけに一部で大きな広がりを見せている。しかし、層としての「学生」がほぼ解体され尽くした中で、学生という共同性をベースにした、学生自身による運動は内実ともに難しくなる一方であるように思う。

著者の鈴木氏は現在毎日新聞学芸部の記者である。1997年の夏だったか、京都大学の学生運動の様子を伺いに京都大学の3つの寮を見学に行った際、当時地塩寮の住人であった著者が豪快に焼き肉を食べる姿を目の当たりにしたことがある。彼の笑いを交えた運動を語る姿に、京都全体の明るさと強さを感じていた記憶がまだ頭の片隅に残っている。

著書自身が自治活動を経験しているためか、本書でも戦後の学生運動の基調を「自分探し」と肯定的に捉え、湯浅誠氏の反貧困運動まで一つの系譜として繋げている。そして、著者は、全共闘がたどり着いてしまった「行き過ぎた自己否定」ではなく、「適度な自己否定」こそが、他者との互恵的な関わり合いを生み、自分も他者も存在を認め合う「居場所」作りにつながると述べる。希望に満ちた文章だったので、終章から一部だけ引用してみたい。本書の最後は、戦後の新左翼の学生運動の分析に留まらず、湯浅誠氏の著書に依拠しながら、今現在に必要な運動に対する前向きな考え方を述べている。是非手に取って読んでもらい文章である。

60年安保のブントや70年代以降の京大ノンセクトがそうだったように、新左翼が、ある瞬間はいわば「シラケつつ(断固として)ノル」意識で運動の大枠を作ったと見られることを(中略)想起したい。

そんな「シラケつつ(断固として)ノル」意識がもし現実に一瞬でもありえたのならば、その意識を運動、あるいは自分から少し心理的、物理的に遠い人との関係に押し広げることはできないだろうか。一部の人が全身全霊を傾ける決意主義も完全には否定しえないかもしれないが、(中略)無数で無名の小さな取り組みが、全体で一つの方向性を形作るような、人同士のかかわりがあってもいいはずだと、つい「夢想」してしまう。

それはいわば、組織ならざる組織、徹底して自己否定の度合いを深め続けるのでも、正面切った闘争やテロを仕掛けるのでもない、「適度」な自己否定に支えられた、ちょっとした行動、そして偽善や自己欺瞞に陥らない「小さな親切」の積み重ねでもある。

たとえば、『僕って何』の「僕」が、初めてデモしたときの、「気持ちの昂ぶり」を失いたくないと思い、「人間的なつながり」を求めて新左翼界隈をさまよったような、そんな力無い感じでいいのかもしれない。「自分探し」の過程には、誰しも他者との小さなひっかかりを見つける場面や、人の優しさに触れられる瞬間があるはずだ。そこには同時に、「自己否定」、つまり優しさを人に返そうと思うきっかけもあるはずだ。

そして、この「自己否定」に行き当たったとき、「左翼のどこが間違っているのか?」の「ぼく」のように、自己否定を徹底できない「左翼」の半端さを拒絶・否定するよりも、自分の少しの「自己否定」的な行動で、世界が少しだけ変わるかもしれないということに、積極的な意味を持たせられないか。それはひょっとしたら、「ぼく」が、自室から外へ出るきっかけにもならないだろうか。
今であれば、貧困を問題化するにしても、直接的なデモや団体交渉に参加するだけでなく、誰かへのちょっとした手助けをするだけでいい。それが、明らかに貧困問題の解決の助けになると信じられる、そういう枠組みを「夢想」できないか。こうしたちょっとの積み重ねへの道筋となる信頼感であったり、場所であったりが、表面上は社会から失われてしまったことにこそ、現代の最大の問題もあるのだが。

(中略)(中流意識の高まりによる)均質化は、学生層にも及んだ。たとえば全共闘のころ、それまでなら高尚な「教養書」を読むはずだった大学生が、他の若者や子供と同じく漫画を読むようになり、話題となったという。他方、「教養」に支えられた「層としての学生」という自意識は失われた。
ともあれ、ポイントは、均質化が共同体的な人と人と関係を商品経済と置き換えるかたちで実現されたことにある。社会は、さまざまな階層が作る共同性の積み重ねではなく、購買力の総和になってしまったのだ。購買力以外で個々人の力を肯定する場が失われたといういい方もできると思う。

(中略)全共闘の先駆けの一つが、学生会館の自主管理要求運動だったことも思い出されよう。この運動は、自分たちの居場所を物理的に確保することで新しい共同性を生み出し、均質化に抵抗しようとしたと理解できる。

(中略)京大同学会や同志社大学友会をはじめ、70年代を生き延びたノンセクト学生運動は、寮や学生会館など全共闘以後も残った自主管理空間を基盤にして、そこから学外の少数者の運動と結びついたことも特記しておきたい。今のフリーター労働運動や反グローバリズム運動関係者の一部も、これらノンセクト運動などの周辺から育ったようだ。

(中略)とうの昔に失速した従来の共同性に基づいた「居場所」作りには、限界があろう。その意味でも、自分たちの外部と結びつき、従来とは違う共同性を生み出そうとした新左翼の歴史は、この新しい「連帯」を描く際に参照する価値がある。

『早春物語』

地上波番組「シアター092」で放映された、原田知世主演、澤井信一郎監督、音楽担当久石譲『早春物語』(1985)を観た。
主演の原田知世さんが輝くことを前提に作られた、半分子ども半分大人の多感で、微妙な、そして危険な年頃の恋愛物語である。
昨日に続いて、音楽を聴くつもりで見始めたのだが、後半からずるずると映画の内容にひき込まれてしまった。確か高校1年生か2年生くらい、つまりは映画が公開されて5年後くらいにビデオを借りて観たような記憶がかすかに残る映画である。当時は主演の原田知世さん演じる主人公と同じ年齢であったのだが、大人の恋愛ということであまり感情移入できず印象に残らなかった作品であったと思う。

しかし、今回は女子高生が恋する対象の中年男性の方と近い年齢になったせいもあり、喜怒哀楽が激しく小悪魔的な女子高生に恋する中年男性の視点と、まだまだ子どもという立場で娘を捉える父親の視点の両方から味わう事ができた。

最初は中年男性に自分をなぞらえて高校生と付き合う自分の姿を思い描いたりしてみたが、後半はそんな女子高生の若さについていけない中年男性の姿に自分を重ねてしまうはめになった。

スケジュールが足らなかったのか、物語の展開に粗さが目立つが、これから成長していく女子高生と、これから下り坂を降りていく中年男性の対比が鮮やかであった。

『風の谷のナウシカ』

日テレの「金曜ロードショー」で放映された、宮崎駿監督・音楽担当久石譲『風の谷のナウシカ』(1984 東映)を観た。
昨日読んだ本の中での久石譲さんの伴奏音楽の理論を確かめながら観た。改めて見事なまでに映像の場面転換と音楽の出だしが一致していた。

思い出すに、『風の谷〜』を最後まで観たのは20年ぶりくらいであろうか。中学校か高校時代に同じ金曜ロードーショーをVHSビデオに録画して観て以来であろう。ハイビジョン映像で細かいディテールまで楽しむことができた。

20年前、人間によって「汚れた大地」を数千年かけて正常に戻す「腐海」といった設定などはSF物語であった。しかし、3・11以降の現在では、そうした設定も遥か彼方の物語ではなくなった。

昨年、人間の手によって生み出された原発が暴走し、大量の放射線が空気と大地を汚した。反原発デモなどの高まりで、「もう原発はこりごりだ」という脱原発が民意となった。いまだ危険な原発を使いこなそうとする一部政財界と、再生可能エネルギーに将来を託そうとする市民との分かりやすい対立構造も露となった。

『風の谷〜』の映画では、確たる解決策は描かれない。世界を覆う腐海の辺境のほとりの一部地域の物語に過ぎない。ただし自然、とりわけ水の持つ力を上手く人間の叡智で活用することが人類存亡の鍵であると述べるに過ぎない。

古代春秋時代の老子の言葉に「上善は水の如し」という格言がある。水は決して万物と争うことなく、人の嫌がるところに身を置く、故に人間完成の姿を表すという意味である。

『耳で考える:脳は名曲を欲する』

養老孟司・久石譲『耳で考える:脳は名曲を欲する』(角川oneテーマ21 2009)を読む。
解剖者の養老氏と、日本を代表する音楽家の久石氏の二人が、聴くという行為や名曲の定義、感性や意識について議論を交わしている。久石氏の質問に対して養老氏が脳科学の立場から説明を加えるという形が多いのだが、久石氏も論理的に音楽を構築する主義なので、上手く議論が噛み合っている。

話の中で、久石氏が映像と音楽を合わせるために、映像からコンマ数秒音楽を遅らせるという談話があった。映像の方が目に届く時間は早いのに、音楽の方に早く人間の意識が向いてしまうということである。そのような調整があってこその映画音楽なのだと改めて感心した。