日テレの「金曜ロードショー」で放映された、宮崎駿監督・音楽担当久石譲『風の谷のナウシカ』(1984 東映)を観た。
昨日読んだ本の中での久石譲さんの伴奏音楽の理論を確かめながら観た。改めて見事なまでに映像の場面転換と音楽の出だしが一致していた。
思い出すに、『風の谷〜』を最後まで観たのは20年ぶりくらいであろうか。中学校か高校時代に同じ金曜ロードーショーをVHSビデオに録画して観て以来であろう。ハイビジョン映像で細かいディテールまで楽しむことができた。
20年前、人間によって「汚れた大地」を数千年かけて正常に戻す「腐海」といった設定などはSF物語であった。しかし、3・11以降の現在では、そうした設定も遥か彼方の物語ではなくなった。
昨年、人間の手によって生み出された原発が暴走し、大量の放射線が空気と大地を汚した。反原発デモなどの高まりで、「もう原発はこりごりだ」という脱原発が民意となった。いまだ危険な原発を使いこなそうとする一部政財界と、再生可能エネルギーに将来を託そうとする市民との分かりやすい対立構造も露となった。
『風の谷〜』の映画では、確たる解決策は描かれない。世界を覆う腐海の辺境のほとりの一部地域の物語に過ぎない。ただし自然、とりわけ水の持つ力を上手く人間の叡智で活用することが人類存亡の鍵であると述べるに過ぎない。
古代春秋時代の老子の言葉に「上善は水の如し」という格言がある。水は決して万物と争うことなく、人の嫌がるところに身を置く、故に人間完成の姿を表すという意味である。