月別アーカイブ: 2012年9月

朝鮮学校全国オモニ会

埼玉高教組からのメールの転送です。
「朝鮮学校全国オモニ会」からの、朝鮮高級学校生徒たちへの「高校無償化」即時適用を求める署名のお願いの案内です。

『苦役列車』

第144回芥川賞受賞作、西村賢太『苦役列車』(新潮社 2011)を読む。
表題作の他、自身のぎっくり腰と文学賞受賞に纏わる心模様を描いた『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』の2編が収められている。
「現代版プロレタリア文学」との評価を聞き、早く読んでみたいとと思っていた本である。著者自身の体験を踏まえた私小説であり、変に政治や社会に向けて背伸びすることなく、19歳の日雇いの青年の等身大のやるせなさや怒りがストレートに表現されていた。

読みながら、20年前、神奈川の伊勢原から、町の名前すら聞いたこともなかった足立区の竹の塚まで、トラックに荷物と一緒に運ばれていった私自身の19歳の頃の風景をふと思い出し、感傷的な気分に浸った。

「授業力向上研修会」

本日は県教委主催の「授業力向上研修会」に出かけた。
埼玉大学の国語科の先生の受験だけでなく広く社会人として必要な「想像読み」の講義であった。「竹取物語」や「伊勢物語」、「奥の細道」などの和歌や俳諧の解釈を通して、当時の文献や他の資料に基づきつつ、これまでの通り一遍な解釈とは異なる視点からの読みについて分かりやすくかつ面白く説明されていた。
どうしても進学校では「韻文を楽しむ」という時間が割かれがちであるが、現代文でも短歌や俳句、詩などを題材にして、自由な読みを試み、さらに相手に伝えるという作業を繰り返すことで論理的展開力が身に付くという内容であった。

今年度初めての教科の研修であったが、たまに学校現場を離れて文学講義を受けるというのは、心身ともにリラックスでき、明日への活力を頂く気がする。
しかし、講義を受けている途中から具合が悪くなり、その後風邪をひいてしまったのは決して「知恵熱」を生じたからではあるまい。

『ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ』

妻と子どもが寝静まって、一人リビングで、地上波で放映された、ロバート・デニーロ、ダコタ・ファニング主演『ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ』(2005 米)を観た。
最初は昨日見た「怨念系」のホラー映画かと思ったら、娘思いの良きパパと殺人鬼の二人の人格が同居する二重人格者が犯人のサスペンス映画であった。
テレビ放映にあたってカットがあったためか、途中辻褄が合わないところがあったような気もするのだが、主演の女の子を演じたダコタ・ファニングの「鬼気迫る」表情が粗を全てカバーしている。

『リング』

地上波で放映された、中田秀夫監督、松嶋菜々子・真田広之主演『リング』(1998 東宝)を観た。
鈴木光司原作の『リング』『らせん』『ループ』の一連の小説が好きだったので、自分自身の世界観を壊したくなく敢えて避けてきた映画である。
原作の不気味な世界を求めてしまうと幻滅であろうが、原作と設定から大きく異なっており、全く別の映画として楽しむことができた。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と、薄気味悪く思ったものも、その正体を知れば怖くも何ともないという意味のことわざがある。この映画も、もどかしいカメラアングルと不気味な不協和音が続く前半は「頭身の毛も太る」ほどなのだが、後半正体が分かるにつれてどんどん恐怖が薄れていく。

そもそも「近代科学」の発展自体、自然の脅威や異世界の闇が照らされ、全てが説明可能となっていくことで安心を得るプロセスであった。言っていることがよく分からないが。。。。。疲れているな。