落合淳思『古代中国の虚像と実像』(講談社現代新書 2009)を読む。
ちょうど授業で「鴻門之会」を扱っているので、教材研究として手に取ってみた。
夏王朝から秦崩壊後の楚漢戦争までは、正統な歴史書がない頃であり、そのため後年の『史記』や『春秋左氏伝』などの虚飾された「人間ドラマ」を元に歴史が「作られている」と喝破する。
「酒池肉林」で有名な殷の紂王や、秦の始皇帝の人間像、管仲と鮑叔の仲、合従連衡の縦横家、その他史話に出てくる興味深いエピソードがことごとく「創作」であると
述べる。
著者はあとがきの中で次のように語っている。
本書は、虚像をできるだけ排し、古代中国の実像を提示することを試みたが、どちらかと言えば普通の古代社会でありあまり面白味のない歴史だったかもしれない。しかし、それが科学としての歴史学なのだと思う。歴史上の有名人であっても、やはり我々と同じ人間である。過去の人物や社会を理想化しないことが科学的な視点であり、「普通さ」や「面白くないこと」こそがむしろ重要なのではないか。