萩野貞樹『みなさんこれが敬語ですよ』(リヨン社 2001)を読む。
謙譲語の定義の乱れや、尊敬語と丁寧語の混用、「ら抜き」言葉など、現代語の敬語にまつわる実例や学説などを豊富に紹介しながら、国語学者時枝誠記氏の敬語論に負った自説を展開する。著者は敬語の基本について次のようにまとめる。
- 話し手が、聞き手を上位とする場合。話題は自由。いわゆる丁寧語。
- 話し手が話題の人を上位とする場合。いわゆる尊敬語。
- 話し手が、何者かとほかの者とのあいだの上下関係をとらえた場合。「何者か」は、話し手であることも聞き手であることもある。いわゆる謙譲語。
書き出してみると特に目新しいことはない。要は古典文法の敬語のルールそのままである。つまりは、古典文法通りの敬語のルールを現代語にも適用せよという理屈である。
また、著者は「ら抜き」言葉について、受身・尊敬・自発・可能を表す「れる・られる」の混用が問題であるとしている。「見れる」「着れる」はあくまで誤用であり、「見られる」「着られる」を用いるべきだと述べる。しかし、受身か可能かは文脈で判断が容易であるが、そこに尊敬が入ると文脈では確定できなくなってしまう。そこで、「れる・られる」は受身か可能でのみ用い、尊敬は「お〜になる」「〜なさる」を使うべきだと主張する。
論の新しさはさておき、敬語の乱れという問題そのものの全体像をつかむことができる良書であった。