本日の東京新聞の夕刊の文化欄に、私が注目している詩人であり社会学者である水無田気流さんのコラムが掲載されていた。
2歳の息子を抱えながらの就活の難しさから、日本の子育て環境を嘆き、民主党の「同一労働・同一賃金」に期待を寄せる一方、オランダの労働政策に学ぶよう提案する。
月別アーカイブ: 2009年11月
パンフレット研究:日本工学院専門学校
日本工学院専門学校の概要パンフレットを読む。
蒲田と八王子にキャンパスがあり、クリエイターカレッジ、ミュージックカレッジ、ITカレッジ、テクノロジーカレッジ、医療カレッジ、スポーツカレッジの6つの専門学科が集まった一大総合専門学校である。クラブ活動や寮なども充実しており、全国から学生が集まってくる評判の高い学校である。経営が安定しており、安心して通うことができる。
『県庁の星』
桂望実『県庁の星』(小学館 2005)を読む。
ある日、県庁で出世街道を突っ走るエリートサラリーマンが、商店街の中にあるスーパーで一年間の民間研修を命じられるところから話は始まる。そして、四角四面な役人が、数字や書類第一主義から、同僚や顧客を大切にする人間味溢れる青年へ変わっていく姿が描かれる。
最後の終わり方がいまいちであったが、自分にも降りかかることかも知れないと、半ば共感しながら楽しむことができた。
『エステマニア』
横森理香『エステマニア』(幻冬舎 1995)を読む。
「チビでデブでブスで銀歯で額縁メガネ」な私が、キレイになって男性や家族に振り向いてもらえるように怪しげなエステや化粧品に手を出しては次々に失敗していくという内容の小説である。前半は、通信販売の「楽して痩せる」ダイエット商品に騙される失敗談などが続くコメディとなっている。しかし、後半に入ると、主人公は、痩せてキレイになっても、金持ちの男性に愛されても、仕事が成功して安定した生活を手に入れても、幸せになれない「女」の哀れさ、引いては「女」という身のはかなさを嘆じるようになる。『源氏物語』のヒロイン紫の上にも通じるような、男性に振り回されるだけの女性の生き方に対する哀れみが描かれる。
物語の最後で主人公の「私」は次のように述べる。
(中略)男は多かれ少なかれ、セックスの対象となる「女」は、何も考えていない綺麗なだけの、お人形さんじゃなきゃ嫌なのだ。
人形の体がヘンな形をしていたり、太っていたり、毛穴が拡張してたり、ニキビ痕やアザがあったり、手足に毛が生えたりしてちゃいけないから、男はそれに文句をつけるし、男の代弁者である女たちにも文句をつける。そして女たちは、自分自身がより人形に近くなるように、奔走する。
人形になればなるほど、男から性的な快楽は与えられるが、私の中の「人間」は、ぼろぼろに傷ついていくのだ。
男の意識に合わせて痩せて、「女」として使えるようになると、自分の中の「人間」が死ぬ。太って人間らしく生きられるようになると、今度は自分の中の「女」が死ぬ。そして自分の中の「女」に対する未練が捨て切れないうちは、苦しみ続けなきゃならない。
あとがきの中で、作者は次のように述べ、この作品の主人公の生き方に解答与えている。『源氏物語』でなぜ紫の上が恵まれた生活を捨て出家してしまったのか、という疑問に対する答えも書かれている気がする。
歳をとり、「女」でいることだけがアイデンティティではつらすぎる。大人になったら、人は誰しも、自分で自分を食べさせることのできる、仕事を持つべきなのだ。
とりあえず、一人でも生きられる、自分には、「女」でいること以外の何かがある、という自信は、私たちをセクシャリティの檻から、少しずつ解放してくれるはずだ。
カタチだけにこだわる世界からは、早く抜けたもん勝ちなのだ。美意識なんて人それぞれでいい。多くの人の思うところの美意識に縛られ、一生を囚われの身で、過ごすことはないのである。
TRUTH IS HERE
『最強の「国語力」を身につける勉強法:「漢検」だけでは鍛えられない!』
谷沢永一『最強の「国語力」を身につける勉強法:「漢検」だけでは鍛えられない!』(PHP研究所 2009)を読む。
中学生・高校生向けの国語の勉強法ではなく、大学生や社会人向けの文章力向上のアドバイスがてんこ盛りである。類語辞典の用い方に始まり、河盛好蔵、江戸川乱歩、折口信夫などの名文の味わい方、さらには、慣用句や故事の用い方にまで及ぶ。谷沢氏の解説よりも、引用されている名文そのものが興味深かった。特に折口信夫氏の文章が読みやすかった。難しいことを易しく伝える文章力の妙を感じた。