ララガーデンで、岸谷五朗監督、上野樹里・木村佳乃主演『キラーバージンロード』(2009 東宝)を観た。
別の映画を観に行こうとしたのだが、子どものお風呂の関係で、映画館へ着いたのが9時45分だったので、時間の都合でこの作品しか選ぶことができなかった。
1分先の展開が予想できないハチャメチャな喜劇と、常に暖かく成長を見守ってくれた祖父への恩返しの悲劇が交互に繰り返される。動と静の世界の対比が際立っており、最後まで飽きなかった。
映画館で一人で観ているともの寂しさを感じる映画である。
月別アーカイブ: 2009年9月
『うさたまの霊長類オンナ科図鑑』
中村うさぎ、倉田真由美『うさたまの霊長類オンナ科図鑑』(角川書店 2005)をぱらぱらと読む。
2003年から04年にかけて新潮社のホームページに連載された、女性が嫌いな女性についてのコラムがまとめられている。単に女性週刊誌的な話題を越えた深い人間観察がなされている。少々長いが「あとがき」を引用してみたい。
「私は女たちが大好きで大嫌い。女たちを憎しみながら愛してるの」と、この本の中で何度も繰り返している私であるが、本当にそうなんだよねぇ。私は四六時中、女のことばかり考えてる。だってねぇ、女って深いよ。良くも悪くも、ディープだよ。どんなにあっさりとシンプルに見えてる女でも、その自意識の闇は、とてつもなく濃くて深い。そして、その闇の深さが、私は好きなのだ。べつに男の闇が浅いなどと決め付けるつもりはないが、男の闇って、ともすれば暴力的あるいは性的な奉公に放出されがちなので、女のような抑圧と歪みに満ちた複雑な生態を作り上げにくく、したがって面白みに欠けるような気がするのである。観察しがいがないっつーの? それに男って、ものすごーく尊大な自意識を隠そうともしないじゃない?でも、女は必ず隠そうとするから、隠し切れない一部が奇妙な形で漏れ出たりして、そこが面白いの。
もうひとつ、女の面白いところは、「自分が他人の目にどう映っているか」を気にし過ぎるあまりに、常に「こう見られたい自分」を人前でプロデュースする傾向が強く、それが「現実の自分」と激しく乖離してしまったり、プロデュースのやり方を間違えてトンチンカンな姿になってしまったり、という様々な失敗を犯してしまう点である。これは、「自分が他人にどう見えているか」に無自覚な、いや、自意識内に明確な自己像というものすら持たない男たちに比べて、きわめて顕著な女の特性だと思う。「男は『見る性』、女は『見られる性』である」という説はよく耳にするが、それが本来のセクシュアリティの問題なのかどうかはさておき、現象としては確かにそのとおりだと強く頷いてしまう私なのだ。
たとえば、AV観賞の仕方だって、男と女じゃ、ものすがい違いがある。男が自分の視点からAV女優を見興奮するのは当然だが、女の場合はAV男優を見て興奮するのではなく、画面中のAV女優を見ながら「AV女優に投影した自分」を第三者(←これは誰かというと、女たちが常に自分をチェックするために脳内に飼っている「脳内他者」である)の視点から眺めて興奮する、という複雑怪奇なエロスを味わっているのだ。つまり、女は「他人から見た自分」に興奮するのよ。〔中略〕
そう、女たちは「脳内他者」を飼っている。その「脳内他者」の目が現実の他者の目と合致していれば、それは「自分を正しく客観視できる女」としてつつがなく社会生活を送っていけるのであるが、ほとんどの女たちの「脳内他者」の目はナルシシズムによって曇らされたり歪められたりしており、それゆえに、ここに並べたようなヘンテコな女たちの生態が出来上がっていくのである。
パンフレット研究:武蔵野大学
1924年に東京築地本願寺の境内に創設された武蔵野女子学院を起源とし、1950年に文学部のみの武蔵野女子大学として発足した歴史ある学校である。浄土真宗系の女子大学ということで印象の薄い学校であったが、約10年ほど前から一気に拡大路線を走り、一大総合大学になりつつある。現在では文学部に加え、薬学部、看護学部、政治経済学部、人間関係学部、環境学部が設置され、2012年には有明キャンパスの開設が予定されている。新設大学のような若さを感じる大学である。
「いつの間にこんな総合大学があったのか」と驚きを禁じ得ない。なんか、むかーし、中学生の頃に『こち亀』で読んだ記憶があるのだが、千葉県と埼玉県の間に発見された新しい「度井仲県」のような印象の大学である。
大きく顔写真入りで、モデルのような愛嬌のある女子学生や、イケメンの男子学生ばかりがパンフレットに紹介されてている。わざわざ宣伝のために特別に入学させたのかと勘ぐりたくなるほどのモデルぶりである。また、おしゃれな吉祥寺、小綺麗なキャンパス、清潔感のある学生に囲まれて、資格取得やインターンシップにまっしぐらな大学像が「これでもかっ」と紹介されている。
この少子化時代にたいそうな拡張路線を歩んで大丈夫なのだろうかと、大学運営の方を心配してしまう。
パンフレット研究:二松学舎大学
二松学舎大学のパンフレットを読む。
1877年、明治10年10月10日に創立の漢学塾、二松学舎を起源とする歴史ある大学である。創立者の三島中洲は「西洋文化の摂取に汲汲としていた時代、時節を憂い、東洋文化を学ぶことこそ我が国本来の姿を知り得ると主張し、東洋学の確立と新時代の担う国家有為の人材の育成を目指した」とのこと。夏目漱石や中江兆民、犬養毅、嘉納治五郎、平塚雷鳥といった蒼々たる面々が学んだことでも知られる、日本の漢学研究の拠点である。
しかし、現在の高校生に二松学舎大学の名前を出してもいまいちぴんと来ないようだ。高校の現場で漢文が嫌われ、漢文に興味を持つ高校生が少ないのも原因の一つだろう。また大学経営も決してうまくいっていない。1982年に千葉県の柏駅からスクールバスで20分の辺鄙なキャンパスに移転し、さらに91年に国際政治経済学部を開設したことが、都心で漢学という大学のアイデンティティを減じたのであろうか。
来年度より4年間千代田キャンパスで学ぶ環境ができるようだが、名門の復活を期待したい。
パンフレット研究:学習院女子大学
学習院女子大学のパンフレットを読む。
1950年に設立された学習院女子短期大学が、そのまま4年制に移行された大学であり、その起源は古くは1885年の華族女学校にまで遡る歴史ある学校である。
日本文化学科、国際コミュニケーション学科、英語コミュニケーション学科の3学科からなる国際文化交流学部の単科大学となっている。
パンフレットは海外研修や資格取得、就職支援など一通りの項目が並ぶだけのありきたりなものであり、カリキュラムとこれといって目新しいものはない。授業内容も○○学や○○論、○○演習などの立教大学、学習院大学、日本女子大学、早稲田大学の5大学との単位互換制度や着付けや華道などの伝統文化実習が目を引く程度である。
しかし就職率ランキングでは大学全体で7位、女子大学では1位という実績である。偏に入学してくる学生の「質」が良いのであろう。出身高校別のデータを見ると、淑徳与野や山脇学園、江戸川女子など私立の女子高校出身者の多さが目立つ。下手に学生を下に見たような改革に走らず、「学習院」というブランドを守っているところに大学運営の成功の秘訣があるのだろう。