拓殖大学のパンフレットを読む。
1900年台湾協会が台湾方面で活躍する人材養成のために設立した台湾協会学校が起源。1904年に台湾協会専門学校に、18年に拓殖大学となった古い伝統のある学校である。
初代学長は日韓併合を積極的に推し進めた首相桂太郎が務め、3代学長には台湾経営に顕著な働きを見せた後藤新平が就任するなど、元々は台湾植民地経営の尖兵養成的な意味合いの強い学校であったようだ。「拓殖」という語を辞書で引くと、「開拓および植民を事業とする」と出てくる。
現在では商学部、政経学部、外国語学部、、国際学部、工学部の5学部を設置する中規模大学となっている。商学部と政経学部の3・4年生、および大学院生は茗荷谷の文京キャンパスを利用するが、後はJR高尾駅から直通バスで5分ほどの不便なキャンパスを利用することになる。都心のキャンパスを利用する商学部や政経学部は就職活動その他至極便利であるが、他の文系学部は特にこれといった特徴もない。あの山奥のキャンパスに定員の3倍も4倍も受験生が集まっているのが不思議なのだが、ネームバリューのなせる技であろう。