林京子『祭りの場』(講談社文庫 1978)を読む。
長崎での被爆体験を描いた表題作の他、被爆した友人を見殺ししたのではというトラウマに囚われ、友人の肉に吸い付く蛆虫が頭の中に巣くう幻覚に苦しみながら亡くなっていく女学生の姿を描いた『二人の墓標』、そして原爆から20年経っても、子どもへの影響や被爆者健康手帳の交付を巡るどたばた、無理解な夫とのいさかいといった「二次災害」に苦しむ母の姿を描く『曇り日の行進』の三編が収められている。
『曇り日~』では、白血病が遺伝したのではと、子どもの出血に過敏になるあまり、鼻血が出ただけでソラ豆大の脱脂綿を固く丸めてつめるシーンが出てくる。そこで、夫はそうした「私」の姿を見て、「ときどき、君は楽しんでいるのか」と尋ねる。「私」は夫に「あなたも被爆してみるといい」と言い放つ。この「あなたも~」の言葉は作中の夫だけでなく、原爆投下から60年以上経た私たち読者の心をぐざりとえぐる。
先日広島で元航空幕僚長の田母神氏は、「核廃絶が即、平和につながるわけではない」と主張し、「唯一の被爆国だからこそ、3度目の核攻撃を受けないために核武装するべきではないか」と呼びかけた。また麻生総理は」「核で抑止しようとする米国と日本は同盟関係にある」と発言し、北朝鮮の核脅威に対抗するため米国の核抑止力が必要との考えを強調している。核兵器廃絶を訴えるオバマ大統領の発言が注目されているが、一方で核の抑止力に期待する世論も強い。
しかし、唯一の被爆国である日本に住む私たちは、年に一度でもよいから、原爆が投下された惨事に目を向け、考えを新たにしていく必要があると考える。