松岡圭祐『催眠―hypnosis』(小学館文庫 1999)を読んだ。
映画のノベライズのようなスピードのある展開で一気に読み終えてしまった。多重人格障害という陳腐なモチーフが使われているが、登場人物をして心理学にまつわる詳しい説明も披露されており、興味深く読むことができた。
先週までの疲れが出たようだ。今日は朝起きたが、午後は日が暮れるまでずっと寝てしまった。今日は埼玉も春の陽気だったそうだが、全くその暖かさを味わうことなく一日が過ぎていった。
松岡圭祐『催眠―hypnosis』(小学館文庫 1999)を読んだ。
映画のノベライズのようなスピードのある展開で一気に読み終えてしまった。多重人格障害という陳腐なモチーフが使われているが、登場人物をして心理学にまつわる詳しい説明も披露されており、興味深く読むことができた。
先週までの疲れが出たようだ。今日は朝起きたが、午後は日が暮れるまでずっと寝てしまった。今日は埼玉も春の陽気だったそうだが、全くその暖かさを味わうことなく一日が過ぎていった。
以下、講演会のメモ
「貴方はプロフェッショナル」
埼玉県立越ヶ谷高等学校長 益子幸雄
早稲田大学政治経済学部卒 埼玉・あさひ銀行支店長を経て、民間出身校長
財政難
↓
民間企業の復調 公務員制度改革
公務員に対する世間の厳しい目
→厳しい倫理意識を持つこと
「教員とは?」「教育とは?」という問いの原点に帰ること
教育基本法
→人格の完成
社会全体で真理と平和を愛する人間が一人でも増えれば社会全体のコストが下がっていく
警察官orゴミ清掃etc…
少資源の日本を救うのはやはり教育の力
支店長時代に読んだ本の中から
「ビジネスマンのための言志録」(佐藤一斎)
教育は将来に対する大志を育てること
人の教育にあっては3つの等級
下の人は上の人を3日で見抜く
上の人は下の人を見抜くのに1年掛かる
40人学級だったら80の目で見られている
学校は社会から隔絶してはいけない
常に社会の中の一つである。
2007年問題
50代の教員があと数年でどっと辞めるので、今のうちにノウハウを学んでおくこと
また、2007年には大学全入時代がやってくる
ということは、全く勉強しなくても大学に入れる状況
→どうすれば、生徒を勉強に向かわせるのかという問題
銀行10年研修に言われたことが、「いつ銀行をクビになっても困らないくらいのスキルを身につけろ」
↓
逆説的に、様々な勉強や資格をとった者は、銀行は外へ出さないという意味を示している
一方、公務員は雇用保険がない。
しかし、いつどうなるか分からない時を見据えて、自分を磨くこと
教員である前に、一人の社会人としての意識を大切に
常に電話と挨拶
雰囲気の良い学校、悪い学校はある。
その中で、同僚や同じ教科の人間とのコミュニケーションを大切に。
10年間の内にこれだけは負けないという専門分野を持つこと。
出会いを大切に。
出会いを拡げる工夫
ハガキ一枚で相手の印象は変わる。
転勤の時に支えになってくれる人脈をつくり、大切にすること。
先生と呼ばれて錯覚を起こさないこと。
仕事を任されるのは信頼されている証拠
喜んで仕事を引き受けなさい。
何か問題が起きた時、常に自分ならどう動くかという対案を持つようにすること。
誰かに相談する場合でも、自分なりの案を3つ用意しておいて話をすること。
キーワード 「信頼」
保護者への情報公開
学級通信は月回でも
相手の立場を尊重すること
他者に分かる形で信頼を築いていくことの大切さに関する話
自分を磨き、生徒の心を育てる
清水崇監督・優香主演『輪廻』(2005 東宝)を熊谷へ観に行った。
ティアラ21という駅ビルの中にあるきれいなシネコンで観た。前作の救いのない恐怖を強烈な不協和音で彩る『呪怨』よりもストーリーは洗練されていて、完成度の高いホーラー映画であった。効果音と不気味な映像で「ハッ」と息を飲む驚きの連続だった前作に比べ、今回は「ぞー」と身の毛もよだつような恐怖がやってくる。
恐怖に駆られて我を失う主演を務める優香の演技が良かった。前世の殺人鬼に心身ともに追いつめられていく恐怖を見事に表現していた。優香は映画女優として経歴が長いものだと思っていたが、この作品が初の主演映画だそうだ。はたして、私の思い違いだったのか、それとも前世からの記憶のためか。。。
昨年来の懸念であった現場実習が昨日でやっと終了した。いろいろと反省の多い実習であったが、何事もなく無事に終えることができた。自分が勉強したかったことに思う存分取り組むことができる時間がとれるのは、苦労も多いが幸せなことである。家族と職場の人たちに感謝したい。
本日の東京新聞の 社説は全国紙にしては気持ち良いくらい歯切れがよい。小泉総理の靖国参拝を巡る変節とそのおそまつなロジックに痛烈な批判を加えている。全文転載してみたい。
小泉氏と靖国 その居直りがいけないこれが国の最高責任者の発すべき言葉だろうか。「靖国参拝自体がいけないのか、中国、韓国がいけないからいけないのか、はっきりしてほしい」と、小泉首相は言った。その居直りがいけない。外遊先のイスタンブールでも首相は靖国にご執心だったようだ。年頭会見と同じ発言を繰り返した。おれの勝手だ、余計な口を挟むな、と言わんばかりに。まるで批判されるのを楽しむように。
物事を単純化して異論を退けるような、発展性のない議論につきあうつもりはさらさらないが、理解に苦しむ点はただしておきたい。首相は自民党総裁選の争点に関して「靖国の問題を自分から提起したことはない。参拝しろとか、してはいかんとか、誰にも言うつもりはない」と述べている。二〇〇一年総裁選で八月十五日参拝を公約して、党の有力支持団体、日本遺族会の票獲得に動いたのは誰だったか。小泉氏である。それでいて、ポスト小泉の総裁選は靖国を争点にするな、と言うのなら、そんな身勝手はない。
盟友であった山崎拓氏が「外交問題でないと強弁しても、内政問題であり、争点になる」と言っている。その通りだ。次の総裁は小泉スタイルを継ぐのかどうか、党員も、国民だって、知っておきたいだろう。そもそも、靖国参拝をわざわざ目立たせて、外交問題に発展させたのは首相自身だ。いまさら「精神の自由、心の問題だ」と自分の殻に閉じこもるのでは、無責任だろう。参拝自体がいけないのか、外国が駄目だと言うからいけないのか、と居直ってみせる首相に、日米・日中戦争、その責任の所在をめぐっての思慮分別は感じられない。極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判と、そこで断罪されたA級戦犯の評価を抜きにして、靖国は語れないのに。次期総裁候補の一人、安倍晋三氏も小泉氏と同類らしい。先日こう言った。「先の戦争をどう評価するかを政治家が言うと、外交的、政治的意味を持ち、あまり賢明ではない。それは歴史家に任せたい」。意味が分からない。歴史認識を語れぬ総理総裁候補など、候補たりえない。
連立与党にあって控えめな公明党の神崎武法代表が、さすがに次の首相の参拝自粛を求めている。(1)歴代首相は侵略戦争を深く反省する談話を出している(2)靖国神社はA級戦犯が合祀(ごうし)され、かつての戦争を称賛している(3)そこに首相が行くのは内閣の方針と矛盾する−というものだ。また口先だけかと軽んじられないよう、神崎氏にはお願いしておく。(2006年1月13日付け東京新聞)
清水ちなみ『大出産。』(扶桑社 1996)を読む。
第一子出産時23歳〜33歳の30人近い女性による出産体験記である。出産にまつわる感動話ではなく、まさに子どもを子宮から産道を通して外界へ排出するまでの産む行為そのものの体験話である。陣痛や帝王切開の痛さだけでなく、病院や夫、姑に対する赤裸々な愚痴が小気味よくぶちかまされている。自分以外の全てに対する怒りやこらえきれない痛みの結果、新しい生命は生まれてくるのだと考えると考えさせる本である。