日別アーカイブ: 2005年8月27日

『国境の南、太陽の西』

本日も昼過ぎに起きて、一日悶々として過ごしていた。新書も読みたくないし、小説も読む気がしない。何かエッセーでも読みたいと思って、本棚を物色していたら、村上春樹『国境の南、太陽の西』(講談社 1992)が目に入り読んでみた。
冒頭の出だしが「僕が生まれたのは一九五一年の一月四日だ……」と、主人公の設定が著者のプロフィールとほとんど変わらないものだったため、最初はエッセーだと疑わず三分の一ほど読み進めていってしまった。30代後半という人生の中年に差しかかって、「国境の南」というこれまでの、そしてこれからの人生とは別の未だ見ぬ世界への憧れと、また、「太陽の西」という惰性的な日常生活から抜け出す衝動に駆られてしまう男の心理が底を抉るように描かれている。
下記の主人公の妻に対する言葉を読みながら、私も自分の来し方行く末を考えた。明け方、妻の寝ている隣の部屋を見やりながら、私も太陽の沈む西に向かってある日歩み始めるのだろうかと、漠とした将来に対しての不安が脳裏をよぎった。

僕はこれまでの人生で、いつもなんとか別な人間になろうとしていたような気がする。僕は違う自分になることによって、それまでの自分の抱えていた何かから解放されたいと思っていたんだ。でも結局のところ、僕はどこにもたどり着けなかったんだと思う。僕が抱えていた欠落は、どこまでいってもあいかわらず同じ欠落でしかなかった。僕の中にはどこまでも同じ致命的な欠落があって、その欠落は僕に激しい飢えと渇きをもたらしたんだ。僕はずっとその飢えと渇きに苛まれてきたし、おそらくはこれからも同じように苛まれていくだろうと思う。ある意味においては、その欠落そのものが僕自身だからだよ。