爆笑問題『天下御免の向こう見ず』(二見書房 1997)を読む。
1995年9月より『TV Bros』に連載された太田氏のエッセーがまとめられている。当時30歳であった彼がオウム事件や薬害エイズなどの事件について率直な感想を述べている。そのエッセーの中で、彼は「もし自分だったら〜」「マスコミはこのように言うが〜」と物事を相対化する視点に立って、努めてフラットに社会を見つめようとしている。彼の芸風の原点が垣間見える。
月別アーカイブ: 2005年8月
『教養としての大学受験国語』
ここ10日ほどかけて成城大学文芸学部教授石原千秋『教養としての大学受験国語』(ちくま新書 2000)を読む。
現代思想の視点で文学テクストの分析を試みている著者が大学の入試問題を私見交えて解説を加えている。東大や筑波大を始め、近畿大や専修大などの大学で出題された大学の入試問題が実際に掲載されており、全て解きながら読み進めていったのでかなりの時間を使った。しかし、近代、身体、大衆、情報、言語など、最近の難関と呼ばれる大学で頻出のテーマを、大変分かりやすく解説していて現代思想の入門書としても最適な一冊であった。
石原氏は最近早大教育学部に移ったそうであるが、今後教育学部の入試問題の現代文は石原氏の手に委ねられることが十分に予想される。早大教育を受験するものにとっては必須の参考書となろう。
『新源氏物語(五)』
田辺聖子『新源氏物語(五)』(新潮社 1979)を読む。
いよいよだ。少し緊張してきた。早く終わって欲しい。
「憲法は非常識?! なぜ今、憲法改正なのか?」
本日は近所の春日部中央公民館で開かれた「さいかつ(埼葛)九条の会」発足記念講演会「憲法は非常識?! なぜ今、憲法改正なのか?」(講師:三輪隆埼玉大教員)に出掛けた。
大江健三郎や小田実氏の呼びかけによる「九条の会」の主旨に賛同して立ち上げられた市民運動の発足イベントである。三輪氏は「市民と憲法研究者をむすぶ憲法問題Web」を主催している人で、9条を守るという一点で護憲、反戦団体の連携を模索している人物である。議会から護憲勢力が無くなりそうな現状では、市民レベルでの護憲運動の活性化こそが憲法改悪を止める唯一の手立てであり、党派やセクトによる分裂を乗り越えて大同団結しようと主張する。
三輪氏は原水禁運動の分裂を例に挙げながら、あの人は「○○派」「△△党」と一度レッテル張りをされたら、そこで運動における人間関係が崩れてしまう、いかにも日本的な運動の土壌の狭さを指摘していた。非常にノンセクト的な、あるいは環境運動的な側面を有する運動であるが、自民党・民主党などの改憲勢力という大きな壁を打ち破れるのか、そして全共闘運動が越えられなかった「内ゲバの論理」を越えられるのだろうか。
『お母さんの手、だいすき!』
長塚麻衣子『お母さんの手、だいすき!』(中央法規 2001)を読む。
著者の長塚さんは埼玉出身の人で、先月職場の人権教育の講師として来て頂き直接に話を伺う機会があった。長塚さんは生まれつき右手の指が3本欠けている「四肢末端減形成症」という障害を抱えている。実際に右手を見せていただいたのだが、人さし指と中指、薬指は全くなく、唯一残った親指と小指で物が挟める程度である。しかし、手首から上は「正常」で、日常生活にはほとんど支障はない。そのため、ちょっと長い袖の服を着れば、傍目には全く分からなくなってしまうという。『五体不満足』の乙武くんのように「障害者のエリート」という意識は彼女にはさらさらない。彼女曰く「健常者以上、障害者未満」という微妙な立場で、30代前半の者なら誰しも経験したような子どもの頃の遊びや学校生活のエピソードを綴っている。ある意味障害が社会の荒波を乗り越えていくための「武器」にはならない一人の「普通」人としての障害観が素直に描かれていてすんなりと読むことができた。