月別アーカイブ: 2005年7月

〈老人福祉論〉

 日本の高齢者福祉は、日本国憲法で保障された基本的人権、幸福追求権、最低生活権を具体化する形で展開されてきた。1963年には「老人の福祉に関する原理を明らかにするとともに、その心身の健康の保持及び生活の安定のために必要な措置を講」ずると定めた老人福祉法が制定された。その後、1982年には「保健事業を総合的に実施し老人福祉の増進を図る」と定めた老人福祉法が制定された。この2つの法律を軸とし、地方公共団体が主体となって、金銭的な安心感を与えることで、高齢者の生活の基盤を築いてきた。

 しかし、近年では生涯教育やボランティア活動など多様な社会参加への機会の確保、生き甲斐のある充実した生活の追求など高齢者自身による主体性の発揮等を通じた、QOLの視点から、より豊かな生活の実現が期待されている。また高齢社会の進展に伴い、核家族化に対応した住環境づくり、街づくり、福祉用具の普及、また60歳代前半の雇用の確保、認知症高齢者の権利擁護等多様な福祉ニーズに対応した行政・福祉・医療・年金を含めた新しい制度づくりが求められている。

 今後、人間が人間らしく成熟していく理念の実現に向けた高齢者福祉を推進していく際に大きく3つの視点が求められる。
 一つ目は高齢者の主体性の尊重と個性および尊厳を重視する視点である。これまでのような寝たきりや施設への隔離では高齢者の人間性は守られない。居宅生活での自立支援を基調とし、多様な社会活動への参加や地域での交流の機会の確保など、コミュニティの中で高齢者を支えていくことが求められる。

 二つ目は、サービスの総合化、体系化を目指した社会計画の視点である。介護保険制度導入後、在宅や施設における様々なサービスが展開されている。民間業者も多数参入する中で、質の良い福祉サービスを維持するには、福祉や保健、医療など地域での連携とケアの質を高める専門的スタッフの配置を盛り込んだ総合的な老人健康福祉計画を作成しなくてはならない。また、地域密着の有効な福祉行政の展開には地方分権に伴う財源確保が前提とならなくてはならない。

 三つ目は給付と負担・財源の明確化である。今後急増する団塊世代以降の高齢者年金の財源確保と、赤字国債等見えにくい形で若年層への借金を残さないことが求められる。そのため、受益者負担のルールを確立を狙いとした介護保険制度や、年金の構造の抜本的な改革が必須である。

 現在誰もが納得する福祉のグランドデザインが描けないまま、現場ではいたずらな民間業者の参入による福祉サービスの質的低下が生じてしまっている。福祉に対する理解の第一歩は利用者の視点にたった福祉サービスの向上である。民間業者および市町村により厳しい情報公開と説明責任を義務づけ、透明なルールの下の競争によるサービスの充実と利用者負担の軽減がその切り口となろう。

〈社会学〉

 社会学という人間集団を分析の対象とする分野においてその集団の様相を図示的に理解するために用いられてきた研究手段が社会調査と呼ばれるものである。社会調査には調査者の視点に立って社会全体を細かく客観的に分析していく統計的方法と、対象者個人の一面を掘り下げていくことにより全体を総合していく事例研究法に大別される。統計的方法とは、対象とする複数の社会事象を、平均、度数分布、比率、相関係数、統計的検定等々の統計技術を用いて記述・分析するものである。一方、ある対象者の社会における全生活過程、あるいはそのある一面を示す個別事例に関する全体的な関連性を総合する方法が事例研究法(ケース・スタディ)である。この方法は統計的方法に比べ調査者の主観が入りやすいが、対象者の視点に立って問題を見ることができるというメリットがある。

 社会福祉調査は福祉サービスの認知・利用・評価という利用者に関する問題や福祉サービスの改善・コストといったサービスの供給に関する問題を扱う。利用者の視点に立ってサービスの条件や仕組みについての制度的な理解を促す必要がある。また寝たきり高齢者や痴呆性高齢者の介護者、地域で生活する重度障害者のニーズといったように少数者の視点から福祉の様相を捉える必要がある。そのため社会福祉調査では利用者個人の生活が基盤となるため、事例研究法が用いられることが多い。
福祉システムのあり方は、公的介護保険の導入や地方分権の影響を受けることになるが、サービスを必要とする人々のためのニード調査や意向調査そして各種の実態調査を行ったり、データを分析する重要性が高まっている。しかもデータや資料を理解し、それらを用いて説明資料を作成したり、的確な問題提起ができるかどうかは、福祉を専門に学ぶものの力量が最も問われる事柄である。

 事例研究法の流れは一般に、課題の特定化→サンプリング→尺度の構成と質問紙の準備→現地調査→集計・分析→図表などによる結果の提示という形をとる。面接調査や留置調査、郵送調査、電話調査、集合調査などを用いて、全体の平均調査からは表れにくい利用者の細かいニードやウォンツを把握していく。そしてまとめられたデータを分析し、利用者本人の視点、家族・友人の視点、地域・行政の視点から問題を捉え直し、具体的なサービス改善、新たな施策への反映などの説得力のある論拠に変えていくことが求められる。

 集団全体を捉える統計的方法と利用者個人の生活全般を捉える事例研究法を組み合わせて、利用者本人にとって適切な支援方法と利用者の生活する地域や人間関係の改善のための援助方法を発想していくことが大切である。

 参考文献
 袖井孝子「社会学とその方法」『社会学入門』有斐閣新書、1990年

〈社会福祉原論〉

 高齢社会の逼迫と福祉多元化の時代を迎え、1987年に「社会福祉 士及び介護福祉士法」が制定され、社会福祉現場の専門職の社会的評価の向上や労働条件の改善などが図られることになった。最近では福祉に興味を持つ中学生や高校生も増えてきている。しかし医者、ケアマネ、理学療法士、作業療法士、養護学校教員など福祉に携わる専門家が数多くいる中で、社会福祉士の専門性はどこに求められるのであろうか。

 「社会福祉士法」の中で、社会福祉士とは「専門的知識及び技術をもって、身体上若しくは精神上の障害があること又は環境上の理由により日常生活を営むのに支障がある者の福祉に関する相談に応じ、助言、指導その他の援助を行うことを業とする者」と定義されている。端的に言えば、支援を必要とする者の福祉を扱うのが社会福祉士である。

 その「福祉」とは分かりやすく言えば、人間が人間らしく生活することである。そのためにまず必要なことは、衣食住などの生きる上で必須な日常生活要求を満たすことである。しかし、それだけでは人間らしいとは言えない。人間らしく生きていくためには仲間が必要である。家庭生活を営みたい、職場で役割を果たしたいなどの社会的な要求である。さらに人間には健康で日々楽しく生きていくための文化的要求もある。自分に適した教育を受け、深い学習がしたい、また思い切ってスポーツや芸術を楽しむということも人間には必要である。

 またそうした個人の生活の前提には地域社会という受け皿がある。戦後、一貫して行政主導の福祉が展開されたが、介護保険制度導入後、企業やNPOやNGOなどの非営利非政府組織が住民サイドに立った多様な福祉サービスを展開している。またこれまで普通学校とは別の特殊な場で行われてきた特殊教育も普通学校や地域の施設、福祉サービスと一体となって展開される特別支援教育へ移項しつつある。これらの福祉サービスの機能的有機的な連携が模索されている。
社会福祉とは以上のように、個人の基礎的な要求、社会的な要求、文化的な要求を全面的に実現することであり、そしてその実現に向けた福祉全般に携わることである。個人の救済や貧困からの脱出という狭い解釈をしてはその目的を見誤ることになる。

 1986年に策定された日本ソーシャルワーカー協会の倫理綱領には「われわれソーシャルワーカーは、平和擁護、個人の尊厳、民主主義という人類普遍の原理にのっとり、福祉専門職の知識、技術と価値観により、社会福祉の向上とクライエントの自己実現を目指す専門職であることを言明する」と謳われている。つまり社会福祉士にとって必要な専門性は社会保障制度の知識や介護技術だけではなく、人間らしい生活と多彩な人間関係、豊かな地域社会を目指して、利用者の生活を再組織化し、社会の連帯を促すところにある。

 参考文献
 一番ヶ瀬康子・伊藤隆二監修『教科書 社会福祉』一橋出版、1997年
 一番ヶ瀬康子『新・社会福祉とは何か』ミネルヴァ書房、1990年

アイマスクウォーク・インスタントシニア

アイマスクウォークを行なっての感想

  • リードしてくれる人に対する信頼感が重要であった。
  • スニーカーを履いてしまうとポツポツのついたタイルは認識が鈍ってしまった。
  • 「あと○○センチ」「もう少し左」といった声掛けでは位置関係が掴みにくい。
  • まず自分の手で触れてみることが、何よりも安心感を生む。
  • コピー機を触ってみたのだが、液晶パネルの操作は何も分からない。スタートボタンの中心部は丸く凹んでいたのですぐに分かった。→手で触れて、触感で判断できると状況の理解が早い。
  • 手すりに触れながら階段を歩いてみたのだが、手すりの曲がり具合で前方の状況をつかむことができた。
  • 何があるか分からない建物の外は少し怖く感じた。建物の中の方が安心できる。
  • 知っている場所や知っている物であれば、手を触れることで、位置や形状を確認でき、自分の記憶と照らし合わせることができる。
  • コピー機のボタンであるか、スタート、ストップ、リセットボタンを色で分けていたが、アイマスクをつけていると識別は不能。数字では?のボタンにポッチがあることで数字の入力は可能。

☆目が見えない者にとっては、手の触感が全てといってもよい。形状を変えたり、凸凹をつけるなどの工夫がほしい。また機械や道具はメーカーが異なっても、基本的な操作を統一していただきたいものだ。

インスタントシニア体験を行なって

  • 視野狭窄によって自分の足元を確認することが出来ず、階段やエレベータの手前で立ち止まってしまった。
  • 白内障を疑似体験したのだが、青色系統の文字や絵が見にくかった。
  • 膝が曲がらないことで、椅子に座ったり立ったりで、バランスを崩しそうになった。特にブレーキのかかりの悪い車椅子で転びそうになった。
  • 肘の曲がり具合が悪いので、ウォシュレットはありがたい。お尻に手を回すのは大変であった。
  • 今回杖はうまく使えなかったが、膝の補助としてうまく使えればよい。

☆車椅子のブレーキや支えは特に高齢者は丁寧に
・階段やエレベータ付近での配慮→高齢者の視点に立つこと(高齢者のことをただ考えることとは違う)

高松宮記念ハンセン病資料館

本日の社事大のスクーリングの一環で、大学の近所にある高松宮記念ハンセン病資料館へ出かけた。ハンセン病とはノルウェーのハンセン医師が発見した「癩菌」という細菌による感染症で、体の末梢神経が麻痺したり、皮膚がただれたような状態になる病気である。現在では感染源になるものはほとんどなく、効果的な治療薬も開発され、既に過去の病気になっている。しかし、日本では戦前から「危険な病気」というレッテルを貼り強制隔離や避妊手術を行い、患者さんの人権を蹂躙してきた。1996年になってようやく「らい予防法」が廃止され、2001年には衆参両院で「ハンセン病問題に関する決議」が採択され、新たな補償や療養所からの退所支援も始まっている。

資料館発行の通信にも「ハンセン病問題で最も反省しなければならない大切な点は、ハンセン病患者である人間を社会に害をなすとの口実で「人間として地域社会の中で共に生きる」ことを排除した点にあります。この点の反省に立って、ハンセン病のみならずすべての障害を持っている人、病んでいる人を地域社会の一人として迎え入れ、共に生きることを目指さなければなりません。日本の社会がこのような「共に生きる社会」になって、初めてハンセン病問題が解決したといえると思います」(ふれあい福祉だより第2号 2005)とある。

しかし、資料館自体が高松宮による募金呼びかけもあって設立されたという経緯もあってか、天皇の温かいいたわりが牢獄のような隔離施設にまで及び、元患者の人権も回復されつつあるという基調の展示が目立った。しかし、ハンセン病患者は、日露戦争後の1907年に天皇を頂点とした日本帝国主義の躍進にとって「邪魔者」を排除するという目的で制定「癩予防法」によって、新たに「天皇の赤子」の下に設けられた「弱者」であった。そうした「弱者」に対して天皇が「御仁慈」を掛けるという構造は、逆に差別意識を強化するイデオロギー装置として機能する。そうした「上」の者が「下」の者に同情を持つという危険なカラクリを見破った上で、「共に生きる社会」を築いていきたい。