本日の社事大のスクーリングの一環で、大学の近所にある高松宮記念ハンセン病資料館へ出かけた。ハンセン病とはノルウェーのハンセン医師が発見した「癩菌」という細菌による感染症で、体の末梢神経が麻痺したり、皮膚がただれたような状態になる病気である。現在では感染源になるものはほとんどなく、効果的な治療薬も開発され、既に過去の病気になっている。しかし、日本では戦前から「危険な病気」というレッテルを貼り強制隔離や避妊手術を行い、患者さんの人権を蹂躙してきた。1996年になってようやく「らい予防法」が廃止され、2001年には衆参両院で「ハンセン病問題に関する決議」が採択され、新たな補償や療養所からの退所支援も始まっている。
資料館発行の通信にも「ハンセン病問題で最も反省しなければならない大切な点は、ハンセン病患者である人間を社会に害をなすとの口実で「人間として地域社会の中で共に生きる」ことを排除した点にあります。この点の反省に立って、ハンセン病のみならずすべての障害を持っている人、病んでいる人を地域社会の一人として迎え入れ、共に生きることを目指さなければなりません。日本の社会がこのような「共に生きる社会」になって、初めてハンセン病問題が解決したといえると思います」(ふれあい福祉だより第2号 2005)とある。
しかし、資料館自体が高松宮による募金呼びかけもあって設立されたという経緯もあってか、天皇の温かいいたわりが牢獄のような隔離施設にまで及び、元患者の人権も回復されつつあるという基調の展示が目立った。しかし、ハンセン病患者は、日露戦争後の1907年に天皇を頂点とした日本帝国主義の躍進にとって「邪魔者」を排除するという目的で制定「癩予防法」によって、新たに「天皇の赤子」の下に設けられた「弱者」であった。そうした「弱者」に対して天皇が「御仁慈」を掛けるという構造は、逆に差別意識を強化するイデオロギー装置として機能する。そうした「上」の者が「下」の者に同情を持つという危険なカラクリを見破った上で、「共に生きる社会」を築いていきたい。