赤瀬川原平『老人力』(筑摩書房 1998)を読む。
数年前に流行した「老人力」である。赤瀬川氏自身の物忘れや足腰の弱化、動作の度に「あ〜」と呟いたりするなど、老齢化につきものの「衰え」を「力」と言い換え、元気な老人パワーが空回りするエッセーかと思いながら読んでいった。改めて読んでみると考えることも多かった。しかし文体は思いっきり口語体であり、独特のリズムがあって読みにくかった。
ちょっと理屈で考えてみるとね、いまの時代そのものが老人化してきているんじゃないですか。たとえば、僕の青年時代といえば六〇年安保で、時代もまだ若気のいたりっていうか、あまりスレてなかったんです。こぶしを振り上げて「それいけーっ!」って勢いで、すべて力で壊せるような気分があった。それが、七〇年代の暗い時代を通り抜けるうちに、やっぱりただ力じゃないな、という感じになってくる。その挫折の象徴が連合赤軍だったりしたんだけど、それからはむしろ世の中が柔軟というか、のれんに腕押しみたいな感じになってきて、僕も中年になったし、時代も中年にさしかかってきたんですね。そうなると、八〇年代はもう初老で、だから、いまの若い人というのは、生まれた途端に初老なんですよ。もちろん肉体的には若いにしても、妙にわけ知りというか、先が見えてしまった感じがある。彼らは生まれながらに、わけ知り老人として人生をスタートしているんです。それだけに、老人力というものが、冗談じゃなく身に染みて感じられるんじゃないですか、若い人にとっても。