目取真俊『水滴』(文芸春秋 1997)を読む。
当時芥川賞を受賞した作品である。過去の沖縄決戦の際に仲間を見捨ててしまったのではないか、どさくさに紛れて悪事を働いてしまったのではないか、といった個人のささいな歴史に強烈に刻み込まれた戦争責任をえぐり出すように現代へ甦らせる。
表題作でもある『水滴』はまさに歴史書に書かれることのない個人の思い出の中に蠢く戦争責任を描く。沖縄で平穏無事な暮らしをしていた徳正がある日、目覚めてみるとの足の親指から突然水が溢れ出しているのに気付く。そして、夢の中で戦争の際に壕に置き去りにして見殺しにしてしまった仲間の兵士が毎晩壁の中から現われ、徳正の親指からあふれる水を飲むという奇妙な展開を辿る。米軍の非道さや日本軍の残虐性といった全体的な戦争責任は蚊帳の外に置かれ、ひたすら個人の個別的な経験が語られる。筆者は70代くらいと思いきや、1960年生まれの40代の作家である。戦後生まれの若い作家によってさえ、戦争責任が描かれるという沖縄の現状にこそ目を向けていく必要があるのではないか。