月別アーカイブ: 2004年11月

『アメリカの論理』

 吉崎達彦『アメリカの論理』(新潮新書 2003)を読む。
 イラク戦争開戦前夜に至る米国とりわけ共和党内のパワーバランスについて分かりやすく解説されている。先日コリン・パウエル国務長官が辞任したが、日本人にとっては分かりにくい動きであった。しかし民主党寄りでアラファトとも親交が深かったのではと噂される穏健派のパウエル氏と、ネオコンの巣窟である共和党の政策シンクタンク「PNAC:新しいアメリカの世紀のための計画」とを対置して考えると、ブッシュの更なる右旋回の体制構築が見えてくる。パウエル氏の政権からの排除も頷ける。この「PNAC」には、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、ウォルフォビッツ国防副長官など、現ブッシュ政権を支えるタカ派の人脈が名を連ねている。今後ますますアメリカ国内においてWASP主流の保守的な勢力が先鋭化し、アメリカ的価値観によって世界政治が突き動かされていく状況が、今回の選挙後の流れからかいま見えてくる。

ちなみに、この「PNAC」のホームページの政策宣言には次のように述べられている。

 Our aim is to remind Americans of these lessons and to draw their consequences for today. Here are four consequences:
・ we need to increase defense spending significantly if we are to carry out our global responsibilities today and modernize our armed forces for the future;
・ we need to strengthen our ties to democratic allies and to challenge regimes hostile to our interests and values;
・ we need to promote the cause of political and economic freedom abroad;
・ we need to accept responsibility for America’s unique role in preserving and extending an international order friendly to our security, our prosperity, and our principles.

 つまり、アメリカとその同盟国を脅かすものは、国際社会の敵であり、アメリカは国際社会に対し重大な責任を負っているのであり、自由と民主主義を世界に拡げていくためには、軍事的な力を背景とした体制構築が必要であるとの認識である。
 アメリカ「独自な」正義感に裏付けされた武力政治であり、『ドラえもん』の登場人物ジャイアンのような理論武装である。アメリカをジャイアンに喩えると、イラクはのび太くんであり、ジャイアンの目の敵にされている。ヨーロッパはしずかちゃんであり、現実の武力の前にはジャイアンの意識するところではない。はたして日本はいつまでスネオの役を演じ続けるのだろうか。

 詳細は筆者のホームページ(溜池通信)を参照されたい。

『バイクカタログ2005』

2005bike

 ここしばらくAmazon.comで購入した『バイクカタログ2005』を寝る前に目を皿のようにして眺めている。
 全ページのバイクのスペックを毎夜暗記するようにじーっと集中して読んでいるせいか、最近は本を片手にいつの間にか眠ってしまう日々が続いている。昨年も同じ編集部発行の2004年度版を購入したが、ここ1年間のバイクの環境対応の進化に驚いている。50ccのフューエルインジェクションなど昨年のモーターショーでは未来のバイクといった紹介のされ方であったが、今年はすでに堂々とラインナップされている。2ストから4ストという流れが昨年までに一応の完成をみたとするならば、今年、来年あたりはキャブからFIへという流れが一気に加速していきそうな気配である。私自身、一昨年の夏、Bajaのキャブレターからガソリンが溢れ出して、あわや惨事かという経験をしたので、安全性も確保されているインジェクションへの流れは賛成したい。

「角川短歌賞」

 本日の東京新聞夕刊に「角川短歌賞」に関する記事が載っていた。第50回という節目に際して17歳の高校生小島なおさんが受賞したというのだ。角川短歌賞というと、ついつい俵万智を思い浮かべてしまうが、いたずらな技巧に走らずに素朴な感性を素直に伸ばしてほしいものだ。

中間試験の 自習時間の 窓の外 流れる雲あり 流れぬ雲あり
エタノールの 化学式書く 先生の 白衣にとどく 青葉のかげり
なんとなく 早足で過ぐ 陽差し濃く溜れる 男子更衣室の前

『理数教育が危ない!』

 筒井勝美『理数教育が危ない!:脱ゆとり教育論』(PHP研究所 1999)を読む。
 九州松下電器でエンジニアとして16年勤務し、その経験を生かして、西日本を中心として小学生中学生対象の塾を設立したという経緯を持つ著者による理数教育の充実の訴えである。前半部では、1977年以降の公立小中学校におけるゆとり教育が成績だけでなく、生徒の心も荒廃させたと、徹底した批判を加える。そして後半部には、「人を思いやる心」を育て、「忍耐力」をつけさせ、さらに「日本の衰退を救う」理数系志望者の育成を掲げる塾の宣伝とお決まりのパターンで展開される。
一つ興味深かったのが、この著者が主宰する塾では専任の教師陣を確保した上で理科の実験を導入しているそうだ。小中学校においては、授業時間数の短縮の中で、理科の実験を行う機会がどんどん減ってしまっている中、「自ら学び、考える力」を養う上で理科実験の導入は評価できる。

『老人力』

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赤瀬川原平『老人力』(筑摩書房 1998)を読む。
数年前に流行した「老人力」である。赤瀬川氏自身の物忘れや足腰の弱化、動作の度に「あ〜」と呟いたりするなど、老齢化につきものの「衰え」を「力」と言い換え、元気な老人パワーが空回りするエッセーかと思いながら読んでいった。改めて読んでみると考えることも多かった。しかし文体は思いっきり口語体であり、独特のリズムがあって読みにくかった。

 ちょっと理屈で考えてみるとね、いまの時代そのものが老人化してきているんじゃないですか。たとえば、僕の青年時代といえば六〇年安保で、時代もまだ若気のいたりっていうか、あまりスレてなかったんです。こぶしを振り上げて「それいけーっ!」って勢いで、すべて力で壊せるような気分があった。それが、七〇年代の暗い時代を通り抜けるうちに、やっぱりただ力じゃないな、という感じになってくる。その挫折の象徴が連合赤軍だったりしたんだけど、それからはむしろ世の中が柔軟というか、のれんに腕押しみたいな感じになってきて、僕も中年になったし、時代も中年にさしかかってきたんですね。そうなると、八〇年代はもう初老で、だから、いまの若い人というのは、生まれた途端に初老なんですよ。もちろん肉体的には若いにしても、妙にわけ知りというか、先が見えてしまった感じがある。彼らは生まれながらに、わけ知り老人として人生をスタートしているんです。それだけに、老人力というものが、冗談じゃなく身に染みて感じられるんじゃないですか、若い人にとっても。