救援連絡センターという弁護士事務所のホームページにいい文章が載っていた。転載してみたい。
私は、1990年代の初頭から中盤にかけて早稲田大学の学生だった。入学当時はバブル経済の末期に当たるが、誰も今の不況が到来するとは夢に も思っていなかった。フリーターという言葉が当たり前のように定着し、その日暮らしでもなんとかなるような気がしていた。社会全体が浮ついていたという感 があった。多くの学生は「大学に入って、学問を究めるぞ」とも思っていなかった。学生生活の中心はサークルやその他自主的な活動であった。
早稲田大学に数多くあるサークルの部室は、キャンパス内建物の地下にあったり、ラウンジや学生会館の中にあった。地下部室は現在、大学当局に よって封鎖され、立ち入りできなくなってしまっているが、それはほぼすべての地下に存在し、まるで迷路のような空間を形成していた。何年前あるいは10年 以上前に貼られたり書かれたと思われる各種ビラや落書きの洪水、昼でも薄暗い廊下、ヒンヤリと、そして少し湿った空気が漂う、特殊な空間だった。建物の上 では、大学が決めた要項、時間割りに則って退屈な授業が行なわれているのに比べて、圧倒的な存在感があった。「すごいところだな」と思ったのをよく覚えて いる。そしてさらに驚いたのは、そこがもともと部室として大学から与えられたものではなく、倉庫やゼミ室であったところを60年代頃から学生が占拠した場 所だったということである。以来、当局との力関係の緊張感の中で維持されてきた空間だったのである。ヨーロッパなどで、自分たちの生きる空間を自分たちで 創り出すために行なわれているいわゆるスクワッティング(空き家占拠)に通じるものを感じる。
今の日本の社会状況の中で、国家権力の手がストレートに及ばない、自律した領域はますます狭められている。それは単に空間的な問題だけではな い。個人の生き死にや、内面までが管理の対象とされている。権力の側からすれば、それだけ余裕がなくなってきているということなのだろう。そんな中で、こ れまで大学という場は、「学の独立」「学問の自由」という美名のもとで、一定は自律した領域として存在してきた。社会からも「学生さんだから」という目 で、便宜をはかられたり大目に見られたりしてきたのである。しかし、バブル経済崩壊と関連しているのだろうか、社会が閉塞感を強める中で、大学という場も 変わりつつある。最近では、東京大学駒場寮に明け渡しの強制執行、早稲田大学では既存のサークルスペースの使用停止と新学生会館への強制移転という事態が 進行している。
今回、大学当局が踏み込んできた背景には、一つには当局の側に余裕がなくなってきていること、もう一つには「もうそろそろ手を下しても大丈夫 だろう」という自信があったと考えられる。そして当局は、大学としての生き残りをかけて本気でやってきた。それに対抗する側が圧倒的に押され気味である。 どうしたら、すぐにでなくても事態が打開できるのだろうか。
学生たちの多くは四年プラスマイナスアルファで関わりをたつが、当局はずっと存在し続けるわけで、大学という場所に対するモチベーションは当 局のほうが断然強い。そんな力関係の中で、学生たちが本当の意味で当局に「勝つ」には、自分たちが作り上げてきた「自律した空間」が社会的にどう意義があ るかを検証した上で、どのように社会ときり結んでいくかという問題意識が大切ではないだろうか。また、大学という場を離れた私にとっては、ある種特権的な 場所だったとは言え、少なくともあの地下は、現在の主流の文化(そしてその裏にある価値観)に対する対抗的な意味を持っていた。そこで培われたものを、実 際の社会の中でどう実現していくかが、より困難ではありそうな今後の課題である。(9月30日)