日別アーカイブ: 2001年10月9日

『図解日本版ビッグバン』

今井澄(キヨシ)『図解日本版ビッグバン』(東洋経済)を読む。
97年に橋龍内閣が金融での改革を筆頭に、財政・行政・経済構造・社会保障の5つの分野で「規制緩和」を掲げ、4年間計画でその推進の旗を振ったが、その成果はどうだったのだろうか。97年の橋龍政権後、教育改革を加えた小渕内閣、景気回復を是とした森内閣、そして行政改革がすべての構造改革の起爆剤だと位置付ける小泉内閣と自民党政権が一貫して続いたが、マスコミレベルでは、「小泉ブーム」の影に隠れ、上記の橋龍改革の方向性の検証がにぶいような気がする。

確かに4・5年前の山一証券や興銀、北海道拓殖銀行の倒産のショックは過去のものになり、当時予想された金融不安は合併や金融持株会社の設立などによって一応避けられている。また省庁再編に伴う弊害は今のところ露呈していない。船出が心配された金融監督庁むしろ再編とは無関係であった警察庁や外務省で不祥事が多発している。MOF担や消費税率、急激な円高等々の問題もここしばらく報道されていない。というか新聞の一面はアフガンへの空爆で持ち切りである。

一見金融・行政改革の面ではうまくいっているように見えるが、財政や社会保障といった将来生まれてくる子供や、弱者にしわ寄せが来ている。郵貯の財投問題もマスコミでは相変わらず、高祖議員の個人的問題にすり替えられてしまった。また医療費負担の増大や介護保険なども、一つ一つ見ていけば憤懣やるかたないものであるのにあれよあれよと過ぎ去っていった。近所の郵便局はどうなるの? 年金ってもらえるの? 私もあと十年ちょいで介護保険を払うがサービスは受けられるの? 80年代まで誰しもが疑わなかった疑問に今誰も明確に答えることができないのが現状である。ここまで庶民に生活不安を与えておいて、この国はなぜ持ちこたえているのだろう。大局的に見るに、全ては「グローバルスタンダード」という錦の旗のもと、国際的な競争力の育成と弱者の切り捨てである。そしてこの国の大半の庶民は「弱者」なのである。企業自体は発展しようと、そこで働くサラリーマンはどんどん切り捨てられていくのが現実である。

55年体制の頃は与野党で様々な課題に対してゆっくりと衝突していたのが、細川政権以降一気に早くなった気がするのは私だけではあるまい。これに加えて教育界での「規制緩和」、憲法改革、国旗国家法案、日米ガイドラインの改定、果ては個人情報をないがしろにする組織的犯罪対策法の成立、一方で公開されるべき権力の情報は確守する個人情報保護法案がまかり通るなど、新自由主義的な、保守的な、というか中曽根的な、いやいやリベラル的な路線が……。

すでに私の頭では97年以降の国会政治の流れをまとめることができない。どこを切り口に視座を据えればよいのだろうか。少し冷静になって物事を捉えていくことが肝要であるが、新聞・テレビ・ラジオに週刊誌、月刊誌まで追っていったら情報に溺れてしまう。情報を少し遮断するか、ものすごい勢いで情報を分析していくしかあるまい。今のような中途半端が良くない。しかし客観的にニュースを捕捉できない理由がまだある。

現在のアメリカのテロ報復に追随する日本政府を支持する世論の形成に、ここ半年のイチローや新庄の活躍が本当に大きいと感じる。今年の春先から私たち日本人は毎日のようにイチローの活躍に一喜一憂した。新庄がお世話になっているニューヨークメッツになにかしらの恩に似た感情を日本人は少なからず抱いている。おそらくイチローが今年これほど(首位打者と盗塁王の二冠)活躍しなければ、自衛隊派遣という事態にまで話が一気に展開することはなかったであろう。話はテロに反対するか否かではなく、イチローを応援するか否かである。またかつて安保闘争が激しかった頃、長島茂雄をして「社会党の天下になれば野球ができなくなる」と読売の渡辺オーナーは言わせたそうだが、この枠組みは変わっていない。9月11日にニューヨークの貿易センターに旅客機が突っ込んむのと機を合わせるかのように、長島巨人がヤクルトに3連勝し、日本人の団塊世代の象徴である長島茂雄に一気にスポットが当てられた。政治とスポーツの関係については、テレビが普及し始めた力道山の頃から指摘されている。その因果を探っていけばいくらでも関係性は論じられるだろうが、ここしばらくのスポーツ報道にはすこし気を使う必要がありそうだ。今回の戦争は長引くことが予想される。湾岸戦争と異なり、歯切れの良い解決はないであろう。大リーグがかつてないほど日本人にとって身近なものとなった今、日米のパートナーシップの絆にベースボールが利用される可能性は高い。今秋巨人の松井や、ヤクルトの石井の動向が注目されるが、戦争と切り離して応援することは難しい。

徒然なるままに書き連ねてきたが、私の頭の混乱と不活性化が伺えただろうか。