五木寛之『風に吹かれて』(新潮文庫)を十年ぶりに読み返す。
高校2年生の時には分からなかったことがおぼろに分かる気がする。それは過去という問題だ。高校生時分は五木氏の「デラシネ」(根無し草)を家族や国家、民族からの離脱と捉えていたが、『風に〜』を読む限りでは、五木氏の「デラシネ」はむしろ過去との懸隔に依拠する点が大きいのではないか。『風に〜』を執筆当時、五木氏は金沢に引っ込んでひっそりと暮らしていた。東京での生活や学生時代を半ば否定するあまりに生まれてくる郷愁があちこちのエッセーから感じられる。ちょうど室生犀星が金沢から東京に越してきて「故郷は遠きにありて思うもの」と詠んだ情感に近い。
思い出したが、最近気になる歌人がいる。道浦母都子さんという人である。70年安保の頃の経験を清冽に歌に託している。そのストレートな感覚は詠むものの胸を打つ。その道浦さんについての考察で面白いページを見つけた。なかなか鋭い視点のコラムが他にもアップされており興味深い。道浦さんの歌を一つ紹介したい。
「その夜より報復おそれ帰らざる 早稲田よ われの墓標たる門」(『無援の抒情』岩波現代文庫)