今日は実家近くの歯医者に出掛けた帰り、新宿西口の三井住友ビルにある平和記念展示資料館へ行ってみた。
総務省認可法人である平和記念事業特別基金が主体となっているもので、特に恩給欠格者、戦後強制抑留者、引揚者のための支援活動と広報活動の拠点である。シベリアでの強制抑留や旧満州での引揚時の悲惨な生活に関する展示で占められている。それぞれは資料も分かりやすくまとまっており興味深かった。しかしでは、なぜ日本人が中国を始めとしてアジア各国を侵略していったのか、当時の中国人、韓国朝鮮人がどのような苦しい生活を強いられたのかという点は意図的に抜いてある。平壌からの悲惨な引揚体験は詳しく説明するが、日韓併合、南京大虐殺には全く触れていない。ガイド役の職員の話を少し聞いたが、太平洋戦争について、ABCDラインに追いつめられ、苦しい生活を強いられた日本人という観点からの説明に終始していたようだ。
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漢字検定準1級
今日は古河で漢字検定準1級を受けてきた。
勉強する暇がなかったので、ほとんど一夜漬けであった。200点中8割の160点必要なわけだが、自己採点の結果146点の不合格であった。問題集が少し古いものだったので、新しい傾向に少し戸惑ってしまったのもあったが、圧倒的に勉強不足である。しかしやればやっただけ点数につながるので、次回再チャレンジしてみたい。
以下に間違えた問題の一部を列挙しておく。
(読み)
儲君の誕生を祝う提灯行列だ。
禾黍の穂が秋風に波打つ
壷中の天に遊ぶ
稲粟を蓄蔵する
熊の爪牙は危険だ
動物に寓けた話だ
胸にたまっていた澱が消えた
約めて話すのはやめてほしい
夕暮れになると漫ろ悲しくなる(書き)
階段から落ちて大腿部を打った
宝石が燦然と輝く
絶妙の演技に皆は拍手喝采した
蓑になり笠になる
骸骨を乞う
尾鰭が付く
この中で「骸骨」という字は余裕で書けるが、上記の文章から「骸骨」は頭に出てこなかった。「漫ろ」は読めてしかるべき語だが、つい古文として「すずろ」と読んでしまった。準1級レベルの漢字はどれも見たことがあるのだが、書いたことのない字が多くてやっかいが、新体字と旧体字の違いや「輔・祐・朋・哉・宏」といった人名によく用いられる字への理解が深まるのでオススメである。しかし1級はどうみてもマニアの世界である……
「環境問題を考える-砂漠化を防ぐために-」
本日はNGO緑の協力隊関西澤井隊の澤井敏郎代表の講演「環境問題を考える-砂漠化を防ぐために-」を聞きに行った。
日本語で砂漠と書くと、「石が少なく水が莫い」と書くが、中国語では沙漠と「水が少なく、水が莫い」と表記する。日本で砂漠というとサハラ砂漠のように砂の平原を思い浮かべるが、植物の生育が厳しい年間降雨量250ミリ以下の沙漠は地球上の三分の一に及ぶという。そして一度沙漠化した地域には人間が住まなくなり、一層沙漠化が進行するという悪循環が世界中で起こっている。そのために植林が有効であるという。「植林」と聞くと何か途方もない労苦のように捉えがちであるが、水をよく吸収する素材と一緒に植えることで、すくすくと成長し、数カ月単位で効果が表れてくる。
話を聞きながら田中康男の「脱ダム宣言」を思い出していた。「木を植える」ということはつい最近まで数百年単位のことであった。名園の松や屋久島の杉など下手すれば千年という時間を私達に提示する。だが生理用品やおむつにも使われている水分吸収剤を用いれば数カ月単位になるという事実は、「悠久の」という枕詞で形容してしまう日本人の自然観そのものを変えてしまうだろう。そうなると何も手を加えないだけの自然保護運動は再考を迫られるだろう。
トトロのふるさと財団
先日仕事の関係で、狭山丘陵でトラスト運動を行っている「トトロのふるさと財団」へ出掛けた。
都心に近い狭山の里山を開発から守るために活動している財団で、非常にこころよく迎えてくれ、狭山の開発の経緯やトラスト運動の始まりについて話を聞くことができた。単に自然を守ろうというスローガンを掲げるだけでなく、実際に狭山丘陵でうどんを作ったり、下草を刈ったりと自然に触れることで、自然の可能性を体感する行事も数多く手掛けている団体である。また環境学習も行っており、教育現場で是非活かしてほしいという。言いふるされた諫言であるが、テレビや教科書で学ぶこと知識以上に、自然から学ぶ体験は多様で意義深い。今流行りの環境を学ぶ教育ではなく、環境から学ぶ教育の在り方を考えてみたいと思う一日であった。
しかし聞くところによると、狭山のトラスト運動は、早稲田大学の人間科学部キャンパスが建設される際のむやみな森林伐採に反対するために立ち上がった運動を起源とするらしい。早大の人科は西武資本が後押しとなって、「創立100周年記念事業」として開設されたものであるが、不正入試事件を隠ぺいする意図が隠されており学内でのコンセンサスが充分に得られないままの出発であった。地域から愛されない教育機関は小学校から大学、専門学校を問わず不幸である。
それにしても、そもそも早大人間科学部は「多様な人間存在そのものの解明、人間と人間をとりまく自然環境や社会環境あるいは技術・情報環境との複雑な関係の解明という、人間研究の総合的なアプローチ」を目指した学部である。しかし、そうした学問を教育研究するためのキャンパス開発に対する反対運動の中に人間性の回復の原点があるというのも皮肉な話である。
ブックトークの原稿
本日で司書教諭の講習が終了した。結果は10月ということなので、楽しみに待ちたい。講習中行ったブックトークの原稿を紹介したい。
ブックトーク
- タイトル:戦争について考えよう
- 対象:中学一年生 試演時間 十五分
- ねらい:ただ事実を並べ年号順に出来事を暗記するだけでなく、写真や評論や絵本を使いながら戦争を多角的に捉えてみる。
- 展開(シナリオ)
紹介する本 ポイントになる言葉・その他
- 野村昇司作『羽田 九月二十一日』(ぬぷん児童図書出版 1988)
夏休み中、テレビや新聞で戦争について考えてみた人はいますか?
8月15日に小泉首相は全国戦没者追悼式の中で次のように述べました。(黒板に掲示する)
では五七年前の日本の敗戦後の様子を見てみましょう。(6ページ程読む) - 『写真記録 日中戦争 5 アジア・太平洋戦争』
一九四一年の真珠湾奇襲攻撃の様子を紹介する
→アジアへの進出は当初非常にうまく行きました。
→シンガポール、フィリピン、インドネシアの戦いの様子を紹介
しかし一九四三年に入ってから連合軍の攻撃が本格的になってから日本軍は段々後退を余儀なくされていきました。
→ガダルカナル島、サイパン島の戦いの写真
当時の小学生は集団疎開をし、中学生は軍需工場で働いていました。 - 『HIROSHIMA 半世紀の肖像』
そして一九四五年八月六日に広島、九日に長崎に原爆が落ちて、日本は一五日にポツダム宣言を受諾して、無条件降伏をしました。
→原爆ドーム、原爆に苦しむ人々の写真を提示 - 『戦時下写真ニュース5 戦地編』
では、どうしてこのような戦争に一億総国民が加担してしまったのでしょうか。当時の日本の政府はこうした戦争のおそろしさを正確に国民に伝えようとしませんでした。
→昭和一八年から一九年にかけての「同盟通信写真ニュース」を五つほど紹介する
当時の音声の悪いラジオ放送の声を真似して紹介 - 家永三郎『戦争責任』(岩波書店 1985)
では、果たして現在の日本の教科書はこうした歴史の真実を伝えているでしょうか。みんなの持ってる日本史の教科書を見てましょう。
→現行の教科書を紹介
当時の新聞に比べるとかなり具体的に書かれていますね。
ここで日本史の教科書検定制度の裁判に長く携わってきた家永三郎さんの本を紹介しましょう。
→「戦争を知らない世代にも責任はあるか」を読む。
戦争責任を戦後責任と読みかえて、今歴史の真実を知ることから、考えていくことの大切さに重点をおいて区切りをつける。