第1回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞受賞作、豊島ミホ『青空チェリー』(新潮社 2002)を読む。
表題作の他、『なけないこころ』『ハニィ、空が灼けているよ。』の2編が収録されている。受賞作の『青空〜』の方は、ラブホテルを覗きながら浪人生の男女がオナニーをするという強烈な内容なのだが、浪人生の肩身の狭さや狭くなりがちな生活感覚が織り込まれていて面白い作品であった。一方、他の2作はあまり練られていないというのが正直な感想だ。
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『いい音が聴きたい』
石原俊『いい音が聴きたい:実用以上マニア未満のオーディオ入門』(岩波アクティブ新書 2002)を読む。
副題にある通り、お金を掛けずに、スピーカーの配置や、ケーブルの取り回しなどで「いい音」を追求するためのハウツー本である。最初の方はウォークマンやラジカセ、ミニコンポなどの紹介で親しみやすかったのだが、後半はセパレードオーディオでのシステムの話やSACD、給料3ヶ月分の海外製アンプやらスピーカーの組み合わせの話になりさらっと読み流した。
中学高校当時、私もオーディオ機器オタクのようなところがあり、「サウンド・レコパル」という雑誌を毎号購入していた。当時はバブル期だったので、海外製の1000万円のスピーカーなども紹介されていて、大人になっていつかお金が潤沢に使えるようになったら、堪能してみたいと夢見ていたものだ。
人間は耳から老化が始まると聴いたことがある。年を重ねるほど、新しい音楽を受け付けなくなるそうだ。オーディオ機器には凝れないが、努めて新しい音楽ジャンルへの興味を持ち続けたい。
『長男の出家』
第98回芥川賞受賞作、三浦清宏『長男の出家』(福武書店 1988)を読む。
受賞作の表題作の他、1975年発表の『トンボ眼鏡』と、1966年発表の『黒い海水着』の2編が収録されている。しかし、『長男〜』以外の作品は、作者の経験を元にした私小説風の夫婦の物語であって興味をひくものではなく、途中で読むのをやめてしまった。
表題作の『長男の出家』であるが、ある平凡な家庭の長男が近所の禅寺に出家してしまうという一風変わった設定の小説である。俗世間との絆しを断って修行生活に明け暮れる息子と、本人の希望を尊重しようとする父と、親子の絆の切断を覚悟した母と、家族の絆を求めようとする妹の四者四様の心のすれ違いが上手く描かれていた。息子に自分の過去を投影し、つまらない理詰めで物事を納得しようとする父と、将来まで見越して感情で割り切ろうとする母との対照的な姿に、男親と女親の普遍的な姿が垣間見えてきた。
『大学で何を学ぶか』
加藤諦三『大学で何を学ぶか:自分を発見するキャンパスライフ』(光文社カッパブックス 1979)を読む。
30年以上前の本であるが、大学に通う意味や学ぶことの意義、さらには卒業後の生きる目的が語られる。受験競争の激しさ故の自殺や三無主義といった当時の時代状況にも触れられ、昭和の昔話のようにも感じるところもあったが、概ね現代にも通じる若者論として読んだ。つい十数年前までは、就職活動は大学の4年生になってからであった。しかし、現在は大学2年生から準備を始め、3年生から本格的にスタートしてしまう。これでは、特に文系の学生は、大学における貴重な「無駄」な時間を堪能することができない。その結果、自分という人間について向き合わないまま社会に出てしまい、自分の価値や働く目的を見いだせない宙ぶらりんな社会人になってしまう。
筆者は、大学は小中高で培ってしまった「一定の価値観、悪く言えば偏見」が自分が自分らしい将来を歩む判断を曇らせてしまうと述べる。そして、大学時代の4年間にそうした偏見を払拭し、自分と対話することが大切だと述べる。
人間の価値観がかたよるということの恐ろしさを知ってほしい。
だからこそ、大学で、立ち止まって、いままでとはちがった動機にもとづいて行動してみることをすすめるのである。
本当の自分を見つけるために。
『ヒーロー社員になろう!』
常見陽平『ヒーロー社員になろう!:元気と勇気が出る仕事術』(インデックス・子コミュニケーションズ 2008)を読む。
TBSラジオの「文化系トークラジオLife」に出演している「論客」(2013年03月のテーマ)方々の著書を押さえておきたいと思い手に取ってみた。
執筆当時、新卒採用を担当していたためか、就職活動の学生から20代前半の新入社員に向けて、仕事の意義や工夫、そして楽しみが、著者の経験則を踏まえた親近感あふれる語り口で述べられている。
「しあわせな私生活」という章で、筆者は仕事と私生活に明確な区別を付けずに、両方楽しむことが大切だと述べている。その中で、著者が2000年くらいからずっとネット上で日記をつけており、どんなに忙しくても1日に1回〜2回は更新をしているという点が印象深かった。同列に論じるのは失礼千万であるが、私自身のこのつまらない他者性に欠けるこのブログを続ける意味を述べてくれたような気持ちなった。引用してみたい。
内容ははっきり言って、他愛もない日常の気付きです。(中略)
誰のために書いているかというと、申し訳ないのですが、完全に自分のためです。自己満足です。とはいえ、そこにはちゃんと意味があって、毎日の気付きをまとめる、毎日を送るという行為を日常生活に組み入れているというわけです。PDCAを習慣的に行うことができているというわけです。ここでは、実際に文章にするかどうかは別として、まずはちゃんと振り返るということが大切です。
表現力も鍛えられます。心で感じたことを文章にすることは難易度の高いことです、実は。これを日常的に行うことは日々、自分を鍛える行為となっています。(中略 抗議や励ましといった読者の反応に触れて)ある意味、私生活を公にさらす行為ですし、様々な人から見られています。そこでちゃんと表現する、主張する、聞く耳を持つというのは個人を成長させる行為なのではないかと思っています。
私は、しあわせな暮らしのためには、日々の出来事にいちいち感動できる感性と体力が必要だと思っています。このような感動力、気付き力をアップする上でもブログは効果的です。
