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『人口危機のゆくえ』

芦野由利子・戸田清『人口危機のゆくえ』(岩波ジュニア新書 1996)を読む。
来月の人文地理学の試験に人口問題が出題されるので手に取ってみた。
一口に人口問題と言っても幅広く、主に開発途上国における貧困や都市問題と合わせて論じられる人口爆発から、宗教や文化的慣習からみる避妊や人工妊娠中絶の是非、また先進国における少子化対策における女性のからだと性の自己決定権など、極めて個人的な問題からグローバルな問題にまで広がる。
人口問題は、個人の性に関わる問題であるが、同時に、どのような社会や国家を希求するかという政治や経済の問題でもあると改めて認識を深めた。

先日、東京都議会で、塩村文夏都議が妊娠・出産期の女性への支援策を本会議で質問中に、「自分が早く結婚したほうがいいんじゃないか」「産めないのか」というヤジが飛んだことがニュースの話題になっている。明らかにヤジという範疇を越えて人権侵害発言なのだが、自民党の議員にその意識は薄い。

『高学歴ワーキグプア』

水月昭道『高学歴ワーキングプア:「フリーター生産工場」としての大学院』(光文社新書 2007)を読む。
著者自身が執筆当時、博士号を取得したものの大学教授への道は閉ざされ、非常勤講師で食いつないでおり、大学院博士課程を終了した高学歴者が塾講師やコンビニのアルバイトをしながら大学に籍を残し続ける現状や、そうした社会的な制約、日本の教育界の実情を丁寧に綴っている。著者自身が「高等教育現場の歪みに巣くうように出現してしまった地獄」と語るように、少子化による大学の延命策という側面を含めて始まった「大学院重点化」と就職難の狭間に陥ってしまった博士たちを巡る環境は数年経った現在でも見通しは暗い。
こうした教育論でも、「自己責任」論が振りかざされ、社会の歪みが個人に帰せられる論調に対して、著者は明確に反対の意を表明している。

『インターネット探検』

立花隆『インターネット探検』(講談社 1996)を読む。
もう20年近く前の本である。Windows95が爆発的にヒットし、インターネットやらeメール、携帯電話の普及で生活が大きく変わり始める直前の頃の話である。当時東大先端科学技術研究センター各員教授となったばかりの著者が、当時のアメリカの革新的なホームページを紹介しながら、いち早く情報革命と既存の社会や個人との関係について論じている。

『先生と生徒の恋愛問題』

宮淑子『先生と生徒の恋愛問題』(新潮新書 2008)を読む。
タイトルからするとオヤジやおばさんがよむ週刊誌の見出しのようであるが、公立学校の教師と生徒の恋愛、裁判、報道を通して、性の自己決定権や地公法の定める公務員の信用失墜行為、「わいせつ」行為の法的定義などにまで話が広がっていく。
現在は、先生と生徒の恋愛は昔以上に御法度であり、先生の生徒の間で肉体関係があったという一点だけで、教員は全て懲戒処分にするという風潮が広がっている。著者自身は「行き過ぎた処分主義の横行は、ひとが本来持っているひとを愛する素直な気持ちの芽をつんでしまうのではないかと懸念している」と述べ、男と女の恋愛は当人しか分からないものであり、「聖職」「わいせつ」「公務員」「セクハラ」「権力関係」といった点だけで全豹一斑判断を下す危険性を指摘している。

『理系のための恋愛論』

酒井冬雪『理系のための恋愛論:理系脳 v.s. 女子脳』(マイコミ新書 2006)を読む。
タイトルに「理系」とあるが、著者の言う理系とは、「自分に関わる話をしているときに、赤の他人の立場から物事を見たり、直接的な質問をすることで会話のスピードを上げ、論理的に説明をしてしまう男性」全般を指す。つまりは、モテない男性、モテにくい男性を女性の視点から分析し、アドバイスを送るという内容である。ネットで十数年にわたって連載されているコラムを再編集したものなのだが、十数年も続く程に男女の恋愛観の間には大きな溝があるのだろう。