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『ザビット一家、家を建てる』

長倉洋海写真・文『ザビット一家、家を建てる』(偕成社 2004)を眺める。
セルビア・モンテネグロのコソボ自治州・ブコビッツ村で暮らすザビット一家の写真集である。

南部はCs、北部はDfに属し、写真を見る限り、日本と気候は変わらないようだ。女性は頭に農家のおばさんのように白いタオルだけを巻いていた。ザビット一家についての詳しい説明はないが、ヒジャブ代りなのだろうか。

ちなみに、コソボ自治州は2008年のセルビアからの独立宣言後は「コソボ共和国」となっている。面積も人口も岐阜県と同じくらいである。どちらも大きな国(都市)に挟まれた内陸の山地に位置する。ヨーロッパの岐阜か?

『靖国への帰還』

内田康夫『靖国への帰還』(講談社文庫 2011)を読む。
2007年に刊行された単行本の文庫化である。1944年に厚木基地から出撃したものの敵機の襲撃を受け行方不明となった海軍航空隊兵が、突然2007年現在の厚木基地に戻ってくるという設定の小説である。既に靖国神社に英霊として祀られている人物が、戦後の靖国神社の論争に英霊として発言するという形で物語が展開していく。
72年前の戦争最前線からタイムスリップしてきた海軍航空兵の武者は次のように語る。

 いま、靖国神社に反対し、A級戦犯合祀を指弾する人々は、かつての戦争について、自分たち、あるいは自分の親たちが同罪であったことを忘れてしまっているのです。戦争を企図した者以外はすべて被害者であるかのように言うのは、後付けの論理です。もし戦争に勝って、恩恵を享受していれば、靖国神社はもちろん、戦争犯罪そのものさえ指弾しないでしょう。それに、もしその時代のその立場にいたとしたなら、A級戦犯とされた彼らと同じような判断を行い、同じように戦争に突入しなかったという保証はありません。いずれにしても、彼らは処刑され、死をもって罪を償うことで、責任を全うしたのです。戦争を知らず、戦争の当事者でもない人々が、死者たちに笞打つような弾劾を叫ぶのは、空論にしか聞こえません。A級戦犯といえどもBC級戦犯と雖も、戦争という国家の行為によって生じた死者であることに変わりはないのです。そのことを、死者たちの声として訴えていきたいと思います。

しかし、海軍航空兵が思いを寄せていた女性は次のように語る。

あの方(A級戦犯として合祀されている東条英機)、戦争を始めた責任者でしょう。でしたら、戦争を終結させるのも、ご自分の責任でなさるべきでしたわよ。それを、陛下のご聖断が下るまで、漫然と、何もしないで、それこそ生き長らえていたなんて、無責任ですわ。もしもっと早く、たとえばサイパン島が玉砕した時ですとか、硫黄島が玉砕した時とかに無条件降服をしていれば、武者さんは戦死なさらなくて……いえ、武者さんはともかく、大勢の若い方々や、空襲や原爆で亡くなられた方々の命は救われていたんですもの。ですからね、東条さんだけは大嫌いなんです。

浅見光彦シリーズとは雰囲気を異にするものの、浅見をして語られる内田氏の戦争観が色濃く出ている作品である。亡くなったら生前の罪を問うことなく神として祀ってきた日本の伝統に根ざす立場、祖先の冥福を祈る気持ちは強いもののA級戦犯が合祀されていることを問題視する立場、隣人(中国や韓国)が不快感を示す中で、日本政府として靖国を公式に参拝することに疑義を挟む立場など、著者は靖国神社を巡る様々な見解を示し、過去から戻ってきた武者を混乱させる。武者はそうした空気に辟易して過去へと戻って軍人としての職務を全うしていく。

著者本人は解説の中で、エンターテイメントに過ぎないと述べているのだが、靖国問題の入門書としても最適な作品であった。

『くれない』

佐多稲子『くれない』(新潮文庫 1952)を少しだけ読む。
1936年に執筆された私小説で、夫の窪川鶴次郎の不倫に悩む進歩的女性の悩みが綴られる。
本編の方はあまり興味がなかったが、解説は盟友の中野重治が担当しており、これまた私小説風に畳み掛けるようなリズム感が良い。解説の中で、中野は1936年当時の共産主義運動について次のように総括している。

(佐多稲子・窪川鶴次郎を指すと思われる主人公の)明子・広介の問題はこの「転向時代」のなかで起っている。ここで「転向」というのは、日本の革命家ないし共産主義の一部あるいは相当の部分が、その立場をなげすてて明らかに戦線を失ったことを言っている。「時代」というのは、そのことが流行のようになり、時の勢いとなっていたことを指している。ここには沢山の問題があるが、直接ここの明子に関係させていれば、例えば転向者のあるものの表明した転向の弁の中身である。雑にいってそこにはこういういい方があった。自分はついに真の革命家ではなかった。はがねのような労働者ではなかった。自分はインテリゲンチャ分子として、社会の改革を夢みたことは本当だったけれども、最後までそれを実行上つらぬく力を持たなかった点、戦線全体を破壊にみちびいたものであった。中途半端分子をまじえることは却って戦線を脆くする。自分はつつましく去るべきである。またこういういい方もあった。あるいはあり得た。自分はついに本当の革命的労働者ではなかった。賃金その他のために資本家階級とたたかおうとしたことは事実だったけれども、社会革命の法則の理論的把握に欠け、労働者階級の先遣分子として、他の諸階級層をみちびきつつ道を終局まで歩くことができなかった。一人の労働者としてならばともかく、全革命陣列の主導的位置からは自分は去るべきである。こうして、それらがその通りだったとしても、脆い分子をさえ先頭分子として要求した日本の現実の歴史的要請は一と思いに抹殺され、撤退戦でのしんがりの、斬りまくり斬りまくりしながら一歩ずつ後退して行く全戦局的な意味が抹殺されて、抹殺されるやいなや、よしんば刀は振られていても、撤退はそのまま壊走に転化するということが見のがされ、それが流行をなした時代であった。

『仮面の国』

柳美里『仮面の国』(新潮社 1998)を少しだけ読む。
随分長い間本棚の奥に眠っていた本である。サイン会中止事件の顛末や神戸連続児童殺傷事件、従軍慰安婦を巡る論争、「新しい歴史教科書をつくる会」との関わりが強い語調で語られる。
執筆当時の論壇時評なので、興味が湧かなかった。彼女の出世作となった、第116回芥川賞受賞作『家族シネマ』は秀逸だったのに。。。

『若い読者のための短編小説案内』

村上春樹『若い読者のための短編小説案内』(文藝春秋社 1997)を手に取ってみる。
タイトル通り、「第三の新人」と呼ばれる安岡章太郎、小島信夫、吉行淳之介、庄野潤三と、その前後に登場した長谷川四郎、丸谷才一の6人の短編を採り上げ、詳細な解説を加えている。
「はじめに」と「あとがき」しか読まなかったが、小説家はここまで物語を分析するのかと舌を巻いた。