読書」カテゴリーアーカイブ

『地球の声に耳をすませて』

大木聖子『地球の声に耳をすませて:地震の正体を知り、命を守る』(くもん出版 2011)を読む。
東京大学地震研究所助教(当時)を務める著者が、小学校高学年向きに東日本大震災が起きた原因や津波発生の仕組み、地球の地殻内部の世界について分かりやすく語る。

つい先日も富山県西部と茨城県沖の両方でほぼ同時に発生した小規模な地震を、緊急地震速報のシステムが大地震と過大予測してしまい誤報が流れるという事故があったが、そうした誤報が生まれる理由も丁寧に説明されている。

液状化によって地面からマンホールが盛り上がったり、家が傾いたりする現象なども、洗面器と砂を用いた簡易な実験例で説明されており、一流の研究者が小学生向けに語る本というのは分かりやすいと実感した。著者自身も次のように述べている。

 実験の結果は予想どおりだったり、違ったり、ときには失敗もします。新しい「どうして?」が生まれることもありました。そうしたら、新しい実験が始まります。
(中略)自分で手を動かしたり、自分の目で確かめたり、自分で考えたりすることはとても大切何ですよ。本やテレビで見るだけではなく、実際に体験すると、「どうして?」や「わくわく」があふれでてきます。それは、科学の原動力でしたね。

 

『やさしい教育原理』

田嶋一・中野新之祐・福田須美子『やさしい教育原理』(有斐閣 1997)をぱらぱらと眺める。
大学の教育原理の授業で使われる教科書で、各章各項ごとに参考文献が挙げられ、「教育とは」「人間とは」「学校とは」「青年とは」「教育評価とは」などの言葉の定義から話が始まる。教育というと個人の体験で語られがちで、どうしても一方に主張が偏りがちだが、筆者の主観的な見解は極力退けられ、道徳や学力、いじめなど評価の分かれる項目については両論併記が徹底されている。
体裁だけでなく内容も典型的な文科省お墨付きの教科書といった風で、学生時代の拒否反応で、全く頭に入ってこなかった。

『透明な遺書』

内田康夫『透明な遺書』(講談社 1994)をだいたい読む。
「長編本格推理」と銘打ってある通り、政界の収賄疑惑やリゾート開発に、現職警官の犯行や暴力団問題なども絡んできて、1992年当時の新聞を賑わせたテーマが盛り込まれている。しかし、内田氏の持ち味である旅情気分を味わうことも歴史の闇に惹き込まれることもなく、最後は飽きてしまった。
四半世紀前の本であるが、政界の汚職の証拠を握った登場人物の次のやりとりが印象に残った。今の安倍総理に関するモリカケ問題と北朝鮮報道をそのまま評している。

「(告発する)機は熟しすぎるほど熟しています。この機を逃せば、あるいは永久にチャンスを逸するかもしれません。人の気持ちは移ろいやすいものですからね。現に、国会やマスコミの関心はすでに勢和疑惑から離れて、平和維持軍に自衛隊を派遣するかどうかに移りつつあります。」
「そうですな。いつの場合もそうでしたな。何か体制側にとって都合の悪い不穏なことが起きると、それを上回る話題を作って、そっちへ関心を振り向ける。どこの国でも、それが政府のやり方です。そのうち、国家非常事態宣言などというものまで飛び出すかもしれない」

 

『女盛りは、賞味期限が切れてから』

西川史子『女盛りは、賞味期限が切れてから』(マガジンハウス 2013)を読む。
構成担当のライターが実名で記載されているので、ゴーストの手によるタレント本である。
結局、この本が刊行されてすぐに離婚してしまうのだが、37歳で結婚し、40代に入ってから体力の衰えとともに肩の力が抜けた自然体な生き方ができるようになったという考えには共感できた。

『火花』

第153回芥川龍之介賞受賞作、又吉直樹『火花』(文藝春秋 2015)を読む。
2015年2月号の「文學界」に掲載された作品で、純文学の権化たる文芸誌が増刷されて話題を呼んだことでも記憶に新しい。累計発行部数は単行本、文庫本合わせて300万部に近い数となっている。
テレビの視聴者や舞台の観客が笑うか笑わないだけで評価が下される、究極的な大衆演芸である漫才に生活の全てを掛けようとする若者の青春劇となっている。ややテーマが掴みづらいが、他人が面白いと感じるのか否かという勝手で単純な基準だけで人生を左右される芸人の世界に、自分の笑いや理想的な芸人像を追い求めようとして挫折をしてしまう主人公のセリフや生き様が印象に残った。