小川忠博写真、小野正文・堤隆監修『縄文美術館』(平凡社 2013)を眺める。
遺跡は特別な場所にあるというイメージが一般的だが、文化庁によると現在登録されている遺跡は全国で46万ヶ所もあり、ビルの下から原野まで広がっている。縄文時代は長い旧石器時代を経て約1万6000年前から始まる。農耕はしていなかったものの、狩猟採集したものを煮炊きしたり保存したりする習慣を有し、かさばって重い土器は移動から定住へ移行したことを示している。また、新潟県姫川河口域で加工されたヒスイや産地の限られる黒曜石、一定の様式の装飾品などが全国で出土することから、かなり広域の交易網があったことが伺われる。
石器時代や後々弥生時代の「繋ぎ」のようなイメージが強いが、鹿児島県薩摩硫黄島の鬼界カルデラの大噴火や温暖化による海水面上昇、弥生時代初期にかけての寒冷期など、気候変動や自然災害に柔軟に対応して生活や文化を発展させてきた縄文人のしなやかさが垣間見える。
「読書」カテゴリーアーカイブ
『奈良の寺々』
太田博太郎『奈良の寺々:古建築の見かた』(岩波ジュニア新書 1982)をぱらぱらと眺める。
法隆寺や薬師寺、唐招提寺、興福寺、東大寺の5つの奈良の代表建築を取り上げ、その意匠や構造、配置についてイラストを多用して説明している。当たり前の話なのだが、日本オリジナルの建築というのは伊勢神宮や出雲大社などの神明造だけで、それ以降は仏教の影響を強く受けている。可能であれば建築史にも注目していきたい。
- 法隆寺:用明天皇が病気になった時、病気平癒のために寺を建て、薬師の像を造ろうと誓ったが、その願いを果たさずなくなったので、推古天皇と聖徳太子がその遺願をついで、推古15(607)に造立したもの。しかし670年に雷によって全焼してしまったので、持統天皇の頃(遅くとも711年)に再建されたものが現存している。
- 薬師寺:天武天皇が皇后の病気の平癒を願って造られ始めたもの。天武天皇は亡くなったが、病気が治り即位した皇后持統天皇と、そのあとの文武天皇が造営を続け、完成されたもの。
- 唐招提寺:聖武天皇の命を受け、隋に渡った鑑真の修行ために759年に建立されたもの。
- 興福寺:669年、藤原鎌足の妻鏡女王が、鎌足の造立した釈迦三尊を安置して山階寺を建てたのに始まると伝えられている。
- 東大寺:743年聖武天皇の大仏造立の詔による。但し大仏の鋳造が終わらないと建物は完成しないため、大仏殿の完成は773年頃だったと推測される。
『偽偽満州』
岩井志麻子『偽偽満州』(集英社文庫 2007)を読む。
1931年(昭和6年),関東軍が満州事変を契機に満州を支配下に収めた頃,岡山の片田舎から満州まで流れ着いた女郎・稲子の性愛たっぷりの逃避行生活を描く。一昔前の日活ロマンポルノのようなペーソス漂う作品であった。
幻の男を追いかけ,大連,奉天,新京,哈爾濱と流れていく稲子の崩れていく様子は,そのまま石原莞爾の宣伝に乗っかり豊かな生活を妄想し大陸へ渡って来た日本人の姿と重なる。
途方もない赤い大地を疾駆する,鋼鉄の機関車。そして壮麗な駅舎。あれは野望と希望の象徴として作られたのだ。どこにも行ける夢の乗り物として,この大地に建設されたのだ。
だが,終着駅が用意されていることを,忘れていた。乗った人間すべてが,最も相応しい駅に降りられるかどうかは,誰にも分からないのだ
『「地名」は語る』
谷川彰英『「地名」は語る:珍名・奇名から歴史がわかる』(祥伝社黄金文庫 2008)を読む。
滋賀県の「浮気(ふけ)」や長野県・富山県の「野口五郎岳」,徳島県の「十八女(さかり)」など,日本全国の面白い地名を持つ土地に実際に訪れ,その土地の雰囲気や地名の由来をわかりやすくまとめている。
この手の本にありがちな,他の文献をまとめただけの机上の雑学本とは異なり,著者自身が撮影した写真もふんだんに紹介されており,旅行記としても楽しむことができた。
『テリー伊藤の怖いもの見たさ探検隊』
テリー伊藤『テリー伊藤の怖いもの見たさ探検隊』(光文社 1997)を読む。
雑誌「宝石」1996年10月〜1997年9月にかけて連載された内容である。
日本全体が平板化されてしまい,都会も田舎も変わらない風景になった現代において,未だに独自の世界観を保ち続ける組織や闇の社会に,「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の精神で切り込んでいく。総会屋,交通刑務所,日本相撲協会,警視庁公安部,海上自衛隊護衛艦,自由民主党,現代ヤクザ,東大法学部,草加学会,東京都庁の11の「神秘的な領域」に対し,体当たりで突っ込み,話を引き出していく。公安刑事の給料の安さを嘆くところや岩國哲人氏の持論である「東京埼玉合併論」など,面白い話が多かった。
