太田博太郎『奈良の寺々:古建築の見かた』(岩波ジュニア新書 1982)をぱらぱらと眺める。
法隆寺や薬師寺、唐招提寺、興福寺、東大寺の5つの奈良の代表建築を取り上げ、その意匠や構造、配置についてイラストを多用して説明している。当たり前の話なのだが、日本オリジナルの建築というのは伊勢神宮や出雲大社などの神明造だけで、それ以降は仏教の影響を強く受けている。可能であれば建築史にも注目していきたい。
- 法隆寺:用明天皇が病気になった時、病気平癒のために寺を建て、薬師の像を造ろうと誓ったが、その願いを果たさずなくなったので、推古天皇と聖徳太子がその遺願をついで、推古15(607)に造立したもの。しかし670年に雷によって全焼してしまったので、持統天皇の頃(遅くとも711年)に再建されたものが現存している。
- 薬師寺:天武天皇が皇后の病気の平癒を願って造られ始めたもの。天武天皇は亡くなったが、病気が治り即位した皇后持統天皇と、そのあとの文武天皇が造営を続け、完成されたもの。
- 唐招提寺:聖武天皇の命を受け、隋に渡った鑑真の修行ために759年に建立されたもの。
- 興福寺:669年、藤原鎌足の妻鏡女王が、鎌足の造立した釈迦三尊を安置して山階寺を建てたのに始まると伝えられている。
- 東大寺:743年聖武天皇の大仏造立の詔による。但し大仏の鋳造が終わらないと建物は完成しないため、大仏殿の完成は773年頃だったと推測される。