川端康成『古都』(新潮文庫 1962)を少しだけ読む。
あとがきと解説を読んだだけだが、1961年の10月から62年の1月にかけて朝日新聞に連載され、京都の年中行事や観光名所を織り交ぜた小説となっている。
川端康成の作品を手にするのはこれが最後であろう。
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『いじわるペニス
内藤みか『いじわるペニス』(新潮社 2004)を読む。
刊行当時流行った「ケータイ小説」に括られる作品である。しかし、過激なベッドシーンの合間に、ゲイを相手にしているウリセンボーイに「恋愛」を求めてしまう主人公の女性のアイデンティティの問題が描かれる。
由紀哉と私。
売る男と買う女。
本当なら、たった一晩だけの後腐れない関係のはずなのに、私が「恋愛」を彼に望んでしまっていたのだ。
もともとないところに無理矢理「愛情」とか「信頼」とかを置こうとしたから、たくさんの歪みができた。
由紀哉の冷たさが不安で哀しくて、だからわたしはセックスに望みを集中させていた。
いやというほど突かれまくれば「愛されている」と錯覚することができる。
白くて熱いどろりとしたものを私の下腹部に流し込んでくれれば、それが彼の愛だと女の身体は勝手に解釈する。セックスの悦びは、愛されていないかもしれないという不安を一気に消してくれる。だから、私は由紀哉としたかったのだ。
ほんとうは。
セックスなんてなくてもよかった。由紀哉が、私を心底愛してくれているのであれば。
由紀哉が、愛おしそうな瞳で私を見つめてくれていれば、時々、宝物に触れるような手つきで、そっと私の髪に触れてきてくれれば。
本当は、それだけで、充分私は、満足だったのに。大事にされて、いたわられれば、女なんてそれで、満足できるのに。
正規料金以外のお金を渡してもプレゼントを与えても「私」に関心を向けず、性的サービスをしても全く勃起しない由紀哉に対して、「私」は心の中で次のような言葉を囁きかける。
ねえ、私に欲情してよ。
勃ってよ。私を、認めてよ。
ある意味ナイーブな男性のペニスの勃ち具合で、女性の評価が左右されてしまう怖さが潜んでいる。
『目で見る仏像・羅漢/祖師』
田中義恭・星山晋也編著『目で見る仏像・羅漢/祖師』(東京美術 1987)をパラパラと読む。
シリーズ物の最終巻で、如来や菩薩と言った偉い仏様ではなく、釈迦の弟子や中国の高僧、日本の流派の祖師などの肖像が数多く紹介されている。鑑真や最澄・空海を始め、達磨大師や親鸞、日蓮など、日本史の教科書でもお馴染みの名前が多かった。
『三面記事小説』
角田光代短編集『三面記事小説』(文春文庫 2010)を読む。
実際に起こった殺人事件や、殺害依頼、薬物混入などの猟奇的な事件に着想を得て、サスペンスドラマに仕立てた短編小説である。宇治拾遺物語や今昔物語集の作品を典拠とした芥川の短編小説に近いものがある。
6つの作品が収録されているが、共通して女性の嫉妬や複雑な家族関係がテーマとなっている。女性同士の関係の中で発生しやすい同調圧力が、やがて殺人にまで増長してしまう恐怖を描き出す。
『妖花の館』
末廣圭『妖花の館』(双葉文庫 2007)を読む。
「長編サスペンス・エロス」と紹介されているように、エロスのシーンが大半なのだが、一応ミステリー仕立てとなっている。往年の名作「日活ロマンポルノ」をノベライズすれば、このような作品になるのであろう。
「鰓」という漢字を初めて知った。
