風土と歴史を歩く会『中高年から始める歴史歩き[関東版]』(主婦と生活社 1997)をパラパラと読む。
岩宿遺跡や大森貝塚に始まり、吉見百穴、武蔵国分寺、足利学校、八王子城跡、草加宿、築地外国人居留地、馬込九十九谷など、有名な観光地というよりも、街中の旧跡が紹介されていて好感が持てた。特に小金井の玉川上水、岡倉天心が一時期住んだ茨城県の五浦、元箱根の石仏群、府中の鎌倉街道、日高市の高麗神社、那須風土記の丘、二宮尊徳ゆかりの栃木県の五行川周辺など、マニアックな歴史散策コースが印象に残った。
「読書」カテゴリーアーカイブ
『グリコのおまけ』
金田理恵構成・装丁・挿絵『グリコのおまけ』(筑摩書房 1992)を読む。
主に昭和20年代後半から30年代にかけて、グリコのお菓子についてくるおまけのおもちゃの紹介がひたすら続く。ちょうど団塊の世代が懐かしいと感じるものが、ページを繰っても繰っても並ぶ。グリコのおまけは1922年(大正11年)から始まり、1942年(昭和17年)に物資統制の強化により中止される。そして1947年(昭和22年)から、クレヨンや消しゴム、ろうせき、ゴム跳びのゴムなどの実用小物のおまけから再開することとなった。1980年代のおもちゃも紹介されているのだが、私自身はほとんど購入した記憶がない。
おまけにまつわる裏話として、大正期に日本では、婦人雑誌の猛烈なおまけ合戦が白熱し、1キロ以上のおまけはやめようという自粛協定までできたそうだ。本が売れない現在と同じような状況だったようである。
江崎グリコの創業者の江崎利一氏の文章が印象に残った。
子どもの生活行動をよくしていると、食べることと遊ぶことが二大天職のように思える。食べながら遊び、遊びながら食べている。どちらか一方だけでは満足しない。つまりオヤツとオモチャの世界に住んでいるのである。子供にはオヤツとオモチャは切り離せない。手元になければ、あらゆる工夫をして自分たちでつくり出している。
子供はつねに新しい遊びと新しいオモチャを探している。いつの時代でもそうであった。そして、それに取り組んでいる子供の姿はまことにいじらしく、真剣である。その選択は子供の教育上からみても、人間形成の上からいっても重大な意義をもつ。だから私は栄養菓子を子供に与え、オモチャとしての豆玩具を提供しようと考えたのだ。
『遙かなる宇宙への誘い』
アトラス・フォト・バンク『遙かなる宇宙への誘い:THE UNIVERSE』(クレオ 1993)を眺める。
文章は一切なく、天体やオーロラ、宇宙開発などの写真や、想像を交えた宇宙都市や惑星探査のイラストが、これでもかという調子で1ページに8枚ないし9枚ずつ、合計100ページにわたって紹介されている。絵を見るだけなのだが、後半には疲れが出てきた。新月から満月までの28枚もの月の満ち欠けの写真など、膨大な写真を前に立ち尽くす、いや座り尽くすだけだった。
『日本の地震活動』
総理府地震調査研究推進本部地震調査委員会編『日本の地震活動:被害地震から見た地域別の特徴』(財団法人地震予知総合研究振興会地震調査研究センター 1997)をパラパラと眺める。国土地理院や旧帝大の研究者が名を連ねている研究データ集となっている。
図を順番に見ていけば明らかであるが、太平洋プレート年間7cmほど、東日本が乗っかる北米プレートの下に沈みこんでおり、過去の地層や断層の調査から、東日本大震災級の地震規模と津波は十分に予見可能である。小学校低学年の児童でも分かることである。
ところが、事故当時の東京電力の社長は「想定外」の津波の規模であったと、責任逃れの理屈を口にしている。なぜ、政府の機関や国立大学の教授が時間と予算と施設を使って、丹念にデータをまとめているにも関わらず、日本全国に原発をクリーンエネルギーだと吹聴し作ってきたのかということである。目の前の利益に目が眩む政権や企業を嗜めるための科学ではなかったのか。
紙質も良く、立派な装丁の本を作るのではなく、行動する科学者であってほしい。
『脳のメカニズム』
伊藤正男『脳のメカニズム:頭はどう働くか』(岩波ジュニア新書 1986)を読む。
一度読んだことがある本だったので、サラッと読んだ。脳の部位別にその仕組みと機能について平易な言葉で説明している。いかにも岩波ジュニア新書らしい一冊だった。この手の本は心理学や「人間として〜」といった倫理的な色合いになりがちだが、あくまで自然科学の見地から、実験とそこから得られたデータから導き出される結果だけを述べており、著者の見識の高さが垣間見える。








