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今年もトミカ博へ

酷暑の中、家族を連れて幕張で例年開催されている「トミカ博 in TOKYO 〜ぼくらのまちの はたらくクルマ〜」に行ってきた。
高い駐車料金、食事代を払ってへとへとになったが、真ん中の子どもの興奮した表情を見ることができ、親としての満足感を得ることができた。
いよいよ来年あたりは下の次男がトミカデビューを果たしそうだ。




ミニチュアの展示に過ぎないが、男の子にとっては動きと音と振動と匂いのある重厚な世界として目に映っているのであろう。


カーズのコーナーの前で。
著作権使用料はハンパな額ではなかろうが、タカラトミー社の経営判断として、ディズニーキャラクターの商品化は大成功であろう。


巨大なバルーンのTくん。


トミカ組み立て工場の模様。
目の前のトミカを作ってくれるという子どもにとっては夢のようなブースである。トヨタ・マークXやスバル・インプレッサは4、50分待ちであったが、2、30代の若い親には馴染みのないマツダコスモスポーツは15分待ちとなっていた。



トミカの展示に混じって、上掲の本物のクルマ3台も展示されていた。
トヨタの86は、80年代後半のセリカやMR2といったトヨタのスポーツカーの系譜の延長上にあり、安心感があった。
ぴかちゅーカーはミニカーそっくりであった。

娘のピアノ発表会

本日は、春日部文化会館の小ホールで娘のピアノの発表会に参加した。
小学校1年生ながらあまり緊張もせず、両手を巧みに動かしながら演奏している姿は、細い体とは対照的に、力強く頼もしいものであった。

私自身も小学校1年生から2年生にかけて約1年ほどピアノを習ったが、同じことの繰り返しに飽きてしまい長続きすることはなかった。
ピアノは全くの素人でも鍵盤を押せば音を出すことができる楽器である。そのため上手くなって音を出すことよりも、繰り返し繰り返し指を動かして、ミスを減らしていくことに楽しみを求める楽器なのかもしれない。

高いレッスン料を払っているので、ピアノを通じて我慢する気持ちや諦めない気持ちを養ってほしいものである。「高い」レッスン料を払っているので(笑)。

『となりのトトロ』

今夕は、真ん中の坊主の幼稚園の夕涼み会に参加した。
昨年生まれた下の子にどうしても手が掛かってしまうので、真ん中の長男は4月で3歳になったので、一年早く幼稚園に入園することになった。年少を来年も繰り返す「年少少」という学年である。幼稚園で一番小さいのでどうなることやらと心配したが、4月生まれということで上の学年の「先輩」とあまり大差なく、じゃれあっている姿を見てほっとしたところである。

家に帰り、金曜ロードショーで放映された『となりのトトロ』(1988 東宝)をじっと観ている姿を見るに、改めて子どもの成長に驚かされた。つい先日まで『羊のショーン』や『ニャッキ』、『トミカシリーズ』など、あまり台詞の無いものが好きだったのに、台詞の多いアニメ映画を黙って見続けているのだ。
上のお姉ちゃんは女の子なので、ある種異人を育てているような感覚があったが、男の子の成長には、男親として考えさせるようなところがある気がする。

さいたま水族館

下の子が熱を出したので、上の子ども二人を連れて羽生にあるさいたま水族館に行ってきた。埼玉県内に生息する淡水魚が中心なので、どれも小ぶりだが子どもは鯉に餌をあげて亀に触って満足したようだ。

前回は、上の子が歩き始めた、5年半前くらい前に来たので、子どもの成長と自分の衰えにも気づく一日となった。

Link→ さいたま水族館

春日部温泉

本日は家族と一緒に近所の春日部温泉へ出かけた。子どもが生まれてから行った記憶がないので、7、8年ぶりだったかもしれない。子どもが生まれる前はよく割引チケットで平日の夜に利用していたのだが、ここしばらくは、とんとご無沙汰であった。

昼の3時から温泉に浸かったり、サウナで汗をかいたりしながら、食事してビールを飲んで8時まで延々と5時間も館内にいた。子どもと一緒にプールにも入ったのだが、筋肉の衰えを自覚せざるを得なかった。平泳ぎやバタフライなど体は覚えているのだが、「足」をかけどもかけども前に進まず、「冷や汗」だけをかき続けた。

以前できたことができないというのは、さすがにショックであった。水泳は怪我の少ないスポーツなので、機会を見つけて泳いでみたい。