投稿者「heavysnow」のアーカイブ

『こちら葛飾区亀有公園前派出所』

先ほど定食屋で読んでいた『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(少年ジャンプ1月15日号)の話が妙に気になった。「コンビニ現代事情」という題で、コンビニの達人である店長が客の動向の先を読んで、商品を仕掛けていくという話だった。おでんや肉まんやら、マンガを並べていくのだが、それがぴったりと当たるのだ。店長の分析によると、個人の生活パターンは大方変化がないためいつも同じ時間に同じ商品を買っていくというのだ。

翻ってみるに、私も朝いつも5分と違わず同じコンビニを利用している。そこで朝食を買うのだが、コーヒーやら肉まんやらサンドイッチやらおにぎりやら大体買うものもパターン化してしまっている。私は偏向性が強いため、缶コーヒーの銘柄まで決まっている。しかもいつも同じ時間に利用するため、レジを打つ店員もいつも同じパートのおばさんである。そういえばあのピザまんの出し方といい、思い出してみれば私の動向も読まれている節がある。

近所の定食屋でも私はほとんど同じものを注文し、決まって御飯のおかわりをする。しかし、定食屋のおばさんは顔なじみで私のことも知っているため、行動パターンを読まれてもさして気にならない。しかしあらゆる商品が分刻み管理されるPOSシステムを活用しているコンビニと近所の定食屋では事情が違う。憶測に過ぎないにしろ、個人の動向がデータ化されているのでないかという恐怖は現代人の多くが共有するところであろう。

『海峡物語』

五木寛之『海峡物語』(講談社文庫)を読み返す。
『艶歌』(「小説現代」1966年12月号)に続く高円寺竜三主人公の作品である。演歌という日本人の保守性の塊のようなものから日本の戦後経済成長の激しさを伺う作品である。

最近疲れがたまっていて読書の時間もろくに取れない。もう少しで仕事が一段落するので、さまざま自分を見つめ返す時間にしたいと思う。あと5日でここ3、4ヶ月の忙しさがひとまず終わる。

『整理』

山根一眞『整理(情報の仕事術)』(日本経済新聞社 1989)を読んだ。

最近ノートパソコンが欲しくて仕方がない。ノートパソコンを買えばあらゆる仕事・趣味が一元化されて頭の中がすっきりするのではないかとつくづく感じる。勤務先でウインドウズを使って成績処理等し、プリント類はカシオのワープロで作成し、家ではマックを使うというのは、どうも無理がある。フロッピーが問題なく互換で使えればよいが、しょっちゅうエラーを起こすので困る。

先日『MacFan』(毎日コミュニケーションズ)に新しいマックのパワーブックの情報が載っていた。今度のパワーブックはいよいよG4搭載でワイド液晶が採用されるそうだ。時期パワーブックに関する予想サイトがウェブ上にたくさんあるが、それらのページを見るのはかなり楽しいことだ。マックはウインドウズと違って道具に徹してくれるので、文房具を選ぶような感覚がある。来年の1月には次期パワーブックが発表され、2月24日はマックOSXが発表されるそうだ。

『表象詩人』

松本清張『表象詩人』を読んだ。
詩をモチーフにした作品で、大正期の事件を昭和の「現在」から振り返るというものであったが、その昭和がもうすっかり過去のものとなった現在に感じる違和感はもうすこし分析していく必要あり。

『われら青春の途上にて』

李恢成『われら青春の途上にて』(講談社)を読む。
これまでの日本人が忘れてきた在日の問題、とりわけ日韓基本条約以前の、そしてサンフランシスコ条約締結以前の問題を強烈に浮かび上がらせている。収録作の一つである『死者の遺したもの』(群像1970年2月号)という作品は、在日の父親が急死し、その葬儀を総連と民団の共同葬で行ってはという提言を巡って、兄弟が政治に翻弄されながらその家族の絆を見つけて行くという話である。私たちがついつい見逃しがちな朝鮮戦争の問題に光を投げかけている。そういえば先日朝銀東京事件に際し、朝鮮総連の本部に警察が入ったが、歴史的側面から総連と民団について報道しているところはなかった。

先日生徒会の生徒と韓国大使館へ出掛けた。そこで韓国側の青年は日韓併合以降の35年の支配の歴史を忘れてはいけないことを強調していた。韓国がなぜ日本文化の流入を制限してきたのか、それは日本が植民地支配の際に言語を奪い、名前を捨てさせるという非道な行為に出たからだ。だからこそ来年のワールドカップを日韓の架け橋にしたいと結んでいた。私は韓国の高校生が統一についてどのような考えを持っているのかと質問したが、明確な回答は得られなかった。いずれにせよ、私たち日本人は統一の問題に関し、その大きな阻害要因となりうる、米軍の基地問題、安保に向き合わなくてはならないだろう。