江國香織のエッセイ集『都の子』(集英社文庫)を3分の1だけ読んでやめた。
本の表紙には「繊細な五感と、幼子のようにみずみずしい感性が、眩しく、切ない」と謳われているが、単なる記号的「差異」に執着する消費者意識をリアルに解説したにすぎない。スイカシェイクが好きだの新宿からのリムジンバスが快適だの、実家の和箪笥に懐かしさを感じるだのと、だらだら話は続いていく。
投稿者「heavysnow」のアーカイブ
『テロリストのパラソル』
現在の東京での生活において、花粉症はすっかり季語になってしまった。これからさらにひどくなるのかと思うと憂鬱だ。恥ずかしながら昨日からずっとどこへもでかけず本ばかり読んでいる。「晴耕雨読」ならぬ、「晴耕花粉読」になっている。別に農業を生業にしてはいないが…
直木賞受賞作である藤原伊織『テロリストのパラソル』(講談社)を読む。
先月新宿中央公園で起きた爆発事件との類似が指摘された作品だ。東大全共闘当時の友人関係のもつれが事件の底流を流れていたというものだ。1971年頃の全共闘ブームの終焉と1990年代のバブル経済後の社会がうまく結びつけられていて最後まで読者を飽きさせない工夫がなされている。
しかし作者自身が1948年生まれの東大仏文科卒ということだが、69年当時対する甘酸っぱい郷愁に留まってしまって、単なる見せ場の多い推理小説に終わってしまっているのが残念だ。
『友情』
武者小路実篤『友情』『芳子』『小さき世界』『母としてのわが母』『土地』『ある日の一休』を読む。
男の想像中でどんどん理想化されていく女性とのほのかな出会いを描いた『友情』は、当時は斬新な恋愛小説として読めたのだろうが、「ストーカー規制法が成立した現在においては少し歪んだ見方をされてしまうのであろう。
『キッチン』
花粉症がひどくなってきたので、外に出るのが少々つらい。洗濯物を干しただけで目がかゆくなってしまう。
吉本ばなな『キッチン』(福武文庫)を読んだ。
「希薄化された家族像」といったような主題がふと思い浮かぶが、あれこれと評論を差し挟むのは無粋であろう。
作者のゼミの担当であった曽根博義氏の、作者と大宰治との共通点の指摘が興味深かった。大学時代に理解に苦しんだ源氏物語における「草子地」論のような小難しい文学論理も、曽根氏のように分かりやすく説明してくれたらよかったのに。
語り手の「私」は、作中人物の「私」と読者の間に立って、一方で作中人物の「私」に寄り添って物語を展開しながら、他方、しばしば、その物語の世界から、我を忘れて物語を追いかけている読者の方に向き直って、読者に親しく話しかけ、物語と読者の間をうまくつないでくれるのだ。作中人物がじかに語りかけるのではない。同じ「私」でも、作中人物の「私」とはその都度微妙に区別され、作中人物と物語の世界を十分に客観化している語り手の「私」が、その仲立ちをしてくれるのである。
WorkCentre1150j
昨年の11月の末にPowerBook G4を購入し、自宅・勤務先でフルに使い始めて3ヶ月が経過した。
ADSLに加入し時間を気にする必要がなくなったこともあるが、昼も夜もパソコンに向かってしまい少し中毒気味である。現在、OSはマックOSの9.2.2を使用しているが、時折生じるフリーズには手を焼いてしまう。特に印刷しようと思うとパソコンが止まってしまう。プリンターのドライバー自体の出来が悪いのか、もしくは、富士ゼロックスのプリンターとの相性が悪いのか、トラブルが絶えず、印刷するのが嫌になってしまう。
昨年までは、MacOS10を使用していたのだが、アプリケーションや周辺機器の対応の遅れに我慢できずに先日9.2に戻したのだ。しかし、やはりノートパソコンの使用においては、メモリーやバッテリー管理含めてOS10に軍配が上がる。

