日本語力向上会議『デキる人は「喋り」がすごい;勝つ言葉、負ける言葉』(角川oneテーマ21 2001)を読む。
「蛙の子は蛙」「口汚し」「逝去」など読み方や立場を変えると意味合いが逆転してしまう言葉を分かりやすく説明していた。
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『気まずい二人』
三谷幸喜『気まずい二人』(角川文庫 1997)を読む。
口数の少ない対談を戯曲風にまとめたものである。「(笑)」マークを一切使わない試みで、『やっぱり猫が好き』のような気まずい笑いを演出したのだが、どうも狙いは外れたようである。映像で見るとまた違うのであろうが、活字で沈黙や言葉を探す時間を表現することの難しさのみが表れていた。
『ネットウォーズ』
浜田和幸『ネットウォーズ;世界情報戦争の読み方』(PHP新書 2000)を読む。
少し古い作品であるが、インターネットにまつわる「情報戦争」の実態が少し整理できた。
近年、シティバンクやアメックス、GEなど日本人にとって馴染み深いようで、得体の知れない金融機関の名前を聞く機会が増えてきた。金融再編を論じる際、常にアメリカの情報機関の動きと考えあわせていくことの必要性を感じた。
しかし作者浜田氏は少々勘ぐり深いところがある。作者は1988年のリクルート事件はCIAが裏で演出していたと述べる。リクルート事件とは当時リクルート会長だった江副浩正とNTT会長の真藤恒が組んで先見的なネットビジネスを始めようとした際に発覚した未公開株にまつわるスキャンダルである。しかしこの裏にはこの動きに危機感を抱いたアメリカ諜報機関が、江副氏の行動を洗い出し、日本の闇の組織を巧みに使って、その関係を公に出したというのだ。その中心人物は「あらゆる手段を講じて日本の金融情報産業がこれ以上台頭することを防ぐ必要があった」と話したという。そしてこれ以降日本の情報通信革命のテンポが落ち、アメリカの情報技術産業が花開いたと結論付ける。「権力謀略論」的流れが気になるが、あり得ない話ではないだろう。
『母と子の漢文語感教育法』
安達忠夫『母と子の漢文語感教育法』(創教出版 1989)を読む。
最近重きを置かれることのない「素読」の簡単な入門書である。
中でも作者は幼児期に日本語の根幹となる漢文を漢音で素読することが語学能力を向上させると述べる。確かに作者のいう通り、完全なる理解を求める昨今のゆとり教育の流れには反するが、理解が追い付かないまでも「門前の小僧習わぬ経を読む」といった習慣は勉強に限らず運動でも大切なことである。「習う」と書いたが、作者の説によれば「習」という字の「白」という字形には「重ねる」という意味があり、全体で巣立ちの前のひなが何度も羽を動かして飛ぼうとする動作を示すということだ。私自身もそうであるが、速読やポイント理解に偏り過ぎてしまうのも「教育」という観点からは考えものであろう。
また漢文教育についても、書き下し文と現代語訳をくらべながら文法事項を確認するだけの従来の漢文教育の限界は20年以上前から指摘されている。素読と視聴覚映像をうまく組み合わせて広く中国文化圏の理解というレベルで伝達できるような勉強が大切である。






