第101回直木賞受賞作、ねじめ正一『高円寺純情商店街』(新潮文庫 1989)を読む。
1960年代頃のハートフルな人情あふれる商店街模様を描いた作品ということであったが、あまり面白くはなかった。商店街に暮らす人々のあり様を丹念に描いていたが、ドラマがあまりに淡々としていて、郊外住宅街育ちの私にはピンと来なかった。しかし1980年以降の街の風景を描こうとしたら、もっといびつなな世界を構成せざるをえないだろう。
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『ハーバードで語られる世界戦略』
田中宇・大門小百合『ハーバードで語られる世界戦略』(光文社新書 2001)を読む。
田中氏と大門さん夫妻がジャーナリストのための研修プログラムでのハーバード大学に留学した10か月間の経験をまとめたものだ。ハーバード大を舞台にしたアメリカ政治の幕裏の様子が一学生の視点でもって丁寧に描かれていた。ジャパンタイムスの記者である大門さんに田中氏が随行したという形だ。田中氏の感想は以下のホームページにまとめられている。
田中宇の国際ニュース解説:「知のディズニーランド、ハーバード大学」
ケネディの出身校として有名な大学であり、名前はよく耳にするがこれまで気に留めてもいなかった。しかし実態が明らかになるにつれて、日本の大学の範疇には括ることのできない、完全な産学共同、官学共同の研究所という側面が見えてきた。とくに政治を専門とするケネディ研究所では、大統領のスピーチ内容やら、選挙活動マニュアルから世界戦略までを教授、学生ともに学んでいる。ちょうど日本でいうところの早慶の大学院と松下政経塾とシンクタンクと各種審議会を合わせたようなところだ。一枚岩のように見えるアメリカ政治も、ハーバード人脈の強い民主党とプリンストン人脈の共和党で色分けして、学閥の視点から見ていくととまた違った見方ができるのではないだろうか。
「出没!アド街ック天国」
『スーツの下で牙を研げ!』
佐高信『スーツの下で牙を研げ!』(集英社文庫 1998)を読んだ。
佐高氏自身「社畜」という言葉を造語しているほど、会社に全人格を託してしまうサラリーマンに対して舌鋒鋭い。会社を相対化し、自分を見失わないことの大切さを主張する。しかし会社を相対化することは難しい。そのためには会社以外の自分をしっかりと見据えることが大事である。佐高氏は続ける。「人は順調で大きくなるのではなく、逆境で育てられるのだ」と。
一口に会社と言うが、大企業、中小企業それぞれに目に見えない会社に縛りつけられるシステムがある。さらに公務員ではよりそれが強固な形となって現れると指摘する。確かに労働条件だけを考えた時、民間のサラリーマンの公務員に対する憧れとやっかみは相変わらずだが、責任の在処が曖昧な役所の中で自己を出そうとすると、すかさず排除が待ち受けているという。佐高氏はニーチェの言葉を引用する。「これが人生だったのか。よし、さらば今一度。」
『お引越し』
先日相米慎二監督『お引越し』をビデオを借りて観た。
ここ数年来、何回も観ているものであり、ストーリーはもちろんのこと台詞まで覚えてしまっているのに、観る度に感動が形を変えてやってくる。当初は「漆場漣子」役を演じる田端智子さんの無垢で迫真に迫る演技に魅了されたが、何度か観ているうちにラストシーンにおける一人の少女の成長の姿の意味について考えるようになった。ちょうど宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』とテーマといい、非日常的な舞台設定といいそっくりである。ある夏の日の思春期に差しかかる少年少女の心の成長を扱った作品は、スティーブン・キング原作の映画『スタンド・バイ・ミー』など洋の東西を問わない。この『お引越し』で描かれる少女の成長は、単に大人の世界をかいま見たとか、異性の魅力に触れたとか通り一遍の評論では語り尽くせない。竹林を彷徨い、もう一人の自分を見つめる自分と出会うという極めて哲学的なアイデンティティの確認作業が一人の少女を通じて行われている。


