先日携帯を買い替えた。激安通販とポイントを使用したところ3000円で機種変更が出来た。30か月使用した白黒の携帯からカメラ付きのカラーの携帯に替えたのだが、その機能の充実には驚くばかりだ。特にメールやインターネットの使用しやすさと着メロの音の向上が著しい。昨日などは夜中ずっと携帯をいじってしまった(笑)
ネットからダウンロードした画像やメロディを自由に待ち受け時や着信時に使用することが出来るので、自分なりにカスタマイズ出来、他人との差別化が図れる点が人気を集めているのだろう。しかしよーく考えてみるとこうした自分なりのインターフィエスに対するこだわりというのはマックに繋がるものがある。ソニーエリクソンの機種を購入したのであるが、そのアイコン操作といい、画面アレンジといい、効果音といいマックOS7.6の頃のカレイドスコープ(マック用のカスタマイズソフト)そっくりである。マック使っている人間がソニーの機種を買うという説もうなずけるものがある。
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ワンワンランドで
今日は久しぶりに晴れたので、筑波にあるワンワンランドというファミリー向けの犬の動物園に出かけてきた。5時に閉園の施設だったのに、遠回りをしながら着いたのは4時を少し回っていた。しかし1時間もあれば十分に満喫できるほどのこじんまりとしたところだった。犬との触れ合いがメインであるのだが、この暑さでどの犬もぐったりとした様子であった。特にシベリアンハスキーやアフガンハウンドなどは目もうつろに寝っころがっていた。
犬との触れ合いコーナーの風景で気づいたのだが、子どもよりも大人の方が犬との触れ合いを求める傾向が強いようである。子どもは実際に動く動物に対する興味の方が強いので走って追いかけ回す姿が目立ったが、大人の方は直に抱っこして自分の体に引きつけて癒しを求めようとする行動が多かった。現在の日本社会のように、人間関係が希薄になればなる程、人間に無条件になついてくる犬の方がかわいくなるのであろう。一人暮らしのOLや孤独な老人がペットにはまってしまうのも一理ある。
堺屋太一氏の講演会
本日仕事の関係で、堺屋太一氏の講演会に赴いた。
「日本の進路」という演目で、経済を中心に閉塞感を抱えている日本、日本人にエールを送るという内容であった。堺屋氏はバブル以降の経済不況が日本人の教育レベルや礼儀(ジベタリアンの発生)まで影響を及ぼしており、すでに官僚主導の国家運営そのものが崩壊しつつあると述べる。10年間で10人の総理大臣が誕生し、その全てが「改革」をスローガンにしたが、その多くが官僚によって潰されてしまった。また橋本・小渕政権の頃、一瞬であるが政治家主導の改革がなされたが、小泉政権になってまた官僚が力を付けて来たと指摘する。氏はその中で阪神大震災において日本人の秩序の良さ、日本人の魂が残っていたことに着目する。そうした日本人の心をもった国民によって選ばれた政治家や企業が良い意味で民主主義的な行動を取ること、そして個人個人が自分の好きなことにこだわることが日本の進路の源泉であると説く。前半の経済分析は古くさい内容でつまらなかったが、最後の何時間やっても飽きの来ないものこそ、自分が本当に好きなものであり、5年10年かけても自分の「好き」なものを探していくことが大切だというエールは面白かった。
『ブロードバンドを使いこなす』
石田晴久『ブロードバンドを使いこなす』(岩波アクティブ新書 2002)を読む。
2月に引っ越しをしてからというもの、ADSL回線がすぐに切れてしまい不満を抱えており、そろそろ次の回線をと思っていたところだったので大変タイムリーであった。素人向けに書かれているのでブロードバンドの技術的な点がよく理解出来た。そもそもデジタルだから突き詰めていけば、全て0か1の世界である。しかしそのデジタル信号の伝送方法は10BASE-TやISDN、ADSLなどで大きく異なる。特にADSLはデジタルと言えども途中の信号は変調されてアナログ(正弦波)になっており、グラフで確認することが出来るのでなかなか興味深い。昔サーモグラフィをどきどきして眺めていた頃の記憶がよみがえる。大学の情報分野でも通信工学科は受験生にとってぴんと来ないのか他学科に比べて人気は今一つだが、これから面白くなる分野であろう。
『現代人のための仏教』
平川彰『現代人のための仏教』(講談社現代新書 1970)を読む。
かなり版を重ねている本で、仏教の入門書としては良くまとめられている。阿弥陀や菩薩、観音など分かっているようで分かっていない用語について丁寧に説明してあった。その中で、「中道」という言葉の説明が面白かった。「中道」という言葉の雰囲気から、私は勝手に争いを避けるための妥協点探りのことだと考えていた。しかし著者は次のように説明する。なかなか良いことを言っているので全部引用する。
中道とは、調和を実現する智慧です。たとえば、1メートルの中間は50センチですが、その中間点を見つけるためには1メートルの全体を正しく見なければなりません。つまり全体を正しくつかむことが、中を発見する前提になる。われわれがなんらかの問題に対して中道を見つけるためには、その問題がどれだけの範囲にあるか、その問題の全体を見通さねばなりません。この全体観ということが、中を実現するための第一段階の智慧です。つまりその事件、その問題を正しく見通す、問題に対してじゅうぶんな認識を持つ、理解を持つことが、中道の第一の条件になります。
第2は、その全体において、中を選び取ることが必要です。つまり全体観についての正しい智慧、批判的智慧が必要なわけです。1メートルのまん中というのは、問題が簡単なので容易に中が見つかりますが、複雑な事件の場合には、その中を見つけることは容易ではありません。見つけるためには利己心を捨てることが要求されます。つまりわれわれの現実の問題は、我と汝の世界において展開するものであり、われわれに自己を重んずる、自己の利益を捨てられない、というように利己心がある場合、我と汝の中間を見つけることはほとんど不可能です。われわれが中を発見しようと思えば、この利己心を捨てなければなりません。つまり中は公平なる精神から生まれるといえます。また中というものは選び取るものであって、そのためには正しい批判が要求されます。中は批判的選択の智慧です。
なかなか人間の悩みの本質を言い当てている。急を要する目の前にある悩みほど、実体以上に大きく大きく感じてしまい、これさえ解決すれば、万事がうまくいくはずだと、視野狭窄に陥ってしまい問題の全体を見通すことが出来なくなってしまう。「中道」を心掛けるということは言うほど易しいものではない。

